2008年1月4日金曜日

遠さ

帰国後、3ヶ月が過ぎた。
3ヶ月しか経っていないことが不思議なくらい、
昔の出来事のように感じてしまっている自分が居る。
去年の頭にやっていた就職活動は、昨日のことのようなのに。

それは、帰国後僕がずっと何かをしていた証なのか、
それとも、国の違いゆえの「遠さ」なのだろうか。

年末、ケニアの大統領選挙が終了した。
僕の予想とは裏腹に、現職のキバキ大統領が再選された。

ケニアでは、大統領選挙と議員選挙が同時に行われ、
議員選挙では、野党ODMが大勝。
それなのに、大統領は現職。

選挙シーズンに、ちょうどケニアに行っていた先輩は、
不正があったことは明らかだろう、と言っていた。

そして、ケニアでは今暴動が多発している。
僕がいたブシアでも、民衆が暴徒化し、発砲沙汰になったらしい。
ケニア全体での死者の数は、300人を超えた。

日本では、パキスタンのブット候補暗殺に霞んで、
あまり報道されていない。

これは、ケニアに居た僕でさえ感じている遠さ故なのか。
「アフリカを身近に感じていたい」、その思いは今でも変わらない。
もっとアンテナを張って、
もっと自ら歩み寄って、
そして、周りの人にも歩み寄りを促して。。

ナイロビの、ブシアの同僚たちが心配だ。
無事を祈るばかりである。

2007年10月9日火曜日

Super Departure

Jump! / i-dep

最後はmixiでいつもやっているように、
音楽と個人史のクロスオーバーで閉めようと思う。

(この日記を読んで、僕に興味を持ってくれた奇特な方はどうぞ。
 立ち寄るだけでも結構ですが、申請してくれるとうれしくて死にます。)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3028671

旅、という言葉はたくさんの意味を持っている。
期待と不安、楽しさと悲しさ、笑顔と涙。
相反するものが互いに影響し合って、
それでいて、全体としてはプラスの方向に向かっているような。

今回のケニア滞在は、どんなに僕がケニアに慣れようと、結局旅だったわけで。
嫌なことも楽しいこともあったけれど、
旅立ちの寂しさによって、全体として楽しかったと言えるわけで。

楽しいけれど少し物悲しい、そんな旅の雰囲気を詰め込んだ曲。
僕のケニア滞在を曲にするなら、i-depのJump!かな、と思う。


空港での搭乗手続きはスムーズに進み、
飛行機の発着も定刻どおりに終わる。


飛行機の中で、色々なことを思い返す。

いろんなことから逃げ回っていた高校時代。
大学で海外を飛び回っている人を見て、
純粋な憧れを感じると同時に、
自分にそんなことが出来るのか、という疑念、その行為への距離感を感じた。

2年前、初めてケニアに行ったとき、
一人で海外に行く、という行為そのものにびくびくしていた。
それ自体がオオゴトで、一人で行って帰ってきたことに満足していた。

そして今、一人でふらーっとどこかへ行くことに、
何の抵抗も感じていない自分がいる。
異国の地でも、いつも通りの自分でいられる自分がいる。

It looks like I made it, how far I have come..

高校のときから憧れていた自分、
ここ1,2年、どんどんそんな自分に近づいている。
気持ち悪いくらいぴったり当てはまっていて、
それがとてもうれしくて。

次の目標も漠然と見つけた。
日本でやりたいこともまだまだある。
帰ってすぐの週は予定で一杯だ。

今の気分は、最高。
とにかく飛び跳ねたい。

Jump, Jump, Jump, JUMP!
Jump to the next wish, Jump to the next aim, and Jump to the next myself!

2007年10月8日月曜日

bye bye Nairobi

朝、いつも通り出勤する。
今日の予定は、DEROという本の寄付を行っているNGOに、
リソースセンター向けの本を獲得しに行くこと。

トムとともに、ごっついランドクルーザーに乗り、DEROに向かう。

土曜日にトムと話していたが、このランドクルーザーに乗って、
日本人である僕を連れて渉外に行くことは、
ケニアでは非常に意味がある行為である。

結論から言うと、DEROから218冊の本を獲得した。
なんでこんなことが出来たかと言うと、
前述の、ランクルと日本人の効果である。

日本人から連想されるキーワードは金である。
彼らは、日本人を連れてきたアデオに寄付することで、
回りまわって、利潤を期待する。(それが実行されるか否かは定かではないが。)

トムは、ここら辺のものの道理、社会の仕組みをよく理解している。
しかも、遠慮という言葉をあえて無視するので、
218冊もの本を強奪(この表現がまさにふさわしい)出来たわけである。


その後、トムは別の仕事のため外に出る。
僕はオフィスで、残った仕事を片付ける。

僕のオフィス出発の時間の3時には、オフィスにはあまり人はいなかった。
というか、3時を過ぎても空港に行く気配が無いので、若干あせる。
結局ばたばたとタクシーを調達し、空港へ。
このばたばた感も始終一貫していたなぁ。。


空港での搭乗手続きはスムーズに進み、
飛行機の発着も定刻どおりに終わる。
ちょっと拍子抜け(笑

2007年10月6日土曜日

"ODM!" "Machungwa!"

現在ケニアは、選挙戦真っ只中である。
候補者はたくさんいるものの、事実上の一騎打ち。

現大統領キバキ率いるPNUと、
キバキの元腹心(確か)のライラ率いるODMである。

PNUは、ナイロビに多いキクユ人を中心に、
ODMは西ケニアと、沿岸部、若者を中心に人気。

今日は、キバキとライラの政治イベントがあった。
キバキは、ナクルというリフトバレー近辺の中心都市で、
ライラは、ここ、ナイロビで行われた。

ナイロビタウン郊外の、ウフルパークは、ODMの支持者で一杯。
一杯も一杯。ものすごく一杯。

テレビでも中継されたわけだが、その様子は、
日本で言うところの、フジロックやらサマソニやらを、
もーっと強くした感じ。

政治のイベントというより、お祭り騒ぎである。
ものすごい熱気に包まれている。

で、アデオの人間は西部ケニアの人間が多く、
ODM支持者ばかり。

今日は、トムと一日中、飲み歩きをしていたのだが、
トムも、ODMグッズを購入して、道行く支持者と騒ぎ会う。

"ODM!"

"Machungwa!"

ODMは、Orange Democratic Movementの略。
んで、Machungwaはスワヒリ語でOranges。

みんなオレンジ色のTシャツや、帽子、ポスター、フラッグを持って騒いでいる。
その他の合言葉は、

"No more coruption"

前々から、政治の話になると、
「キバキとライラどっちが勝つと思う?」と人に聞いて回っていて、
以前は、「キバキじゃん?」という意見が多かったのだが、
ここまで周りにライラ派が多いと、案外ライラかつんじゃないのかなぁ、と思ってしまう。

ライラは、経済の自由化による外資流入、それに伴うケニアの経済発展を目指しているらしい。

この国の政治的関心(お祭り、というのもあるだろうが)の高さを見ると、
ちょっと明るい気持ちになってくる。
変えていこうとする意思、というかなんと言うか。

まあ、僕は、あまり詳しくないので、どちらかというと、ライラくらい。
どちらが勝つにせよ、政治を通して、ケニアがよりよい国になることを願っている。


余談だが、最近トムが、僕を良く「Atsu!」と間違えて呼ぶ。
トム曰く、Suzukiは、Atsuのようにスマートになったかららしい。
まー、ありがたいのかなぁ。
小栗さん的には良い迷惑だろう。


因みに、ドイツ人とシェアしていた部屋を引き払い、
自腹で、高いホテルに移動。
高いといっても、日本円で3000円くらい。
ケニアだと大金である。
部屋はめちゃくちゃ広く、シングルなのになぜかベッド二つ。
バスタブ付きで、久しぶりにゆっくりと入浴。

一時的に禁煙を解除して、一本吸ってみるものの、あんまおいしくない。
タバコってこんな不味かったんだと。
なんか普通に辞められそうな予感。


明日は、新しいJOCVの着任に伴う、「Karibu(welcome)パーティ」に、
なぜか参加させてもらうことに。
ありがとう、みっきー!
完全に部外者ですが。

2007年10月5日金曜日

仕事の終わり(多分)

今日は、本とIECマテリアルの発行に奔走。


リスペクトキャンペーンからいただいた寄付は、
ナンバレリソースセンターへの、本と、
IECマテリアルの設置に使わせていただきました。
リスペクトの皆様、後日ご報告に伺います。
(私信でした。)


その合間に、日本大使館を訪問。
厳重な警備をかいくぐり(?)、たどり着いた先は、別世界。
床のタイルを含め、白で統一された建物。
なんか、窓の先には日本庭園風の中庭が!

基本的に、ケニアで白を基調とした内装を行うのは危険である。
というのも、土が赤く、街中でも完全に舗装されているわけではないので、
靴に付いた赤い土が、白に目立ってしまうのである。

それをやってのける日本大使館、
すなわち、丁寧に掃除させるだけの給料を払える、ということである。

まあ、それは置いておいて、GGP(草の根無償援助)担当の塚田さんと、
なしむらえりこさん(ごめんなさい、字が分りません。。)とお会いする。

塚田さんは今週ずっと忙しいなか、わざわざ時間を合わせてくださったのだが、
僕が遅刻したせい(正確には、ADEOスタッフが)で、あまりお話できず。

その代わりに、なしむらさんと話し込む。
とてもフランクな上に、開発という現場での経験を感じさせるお姉さんで、
アドバイスやら、視点やら、色々なものをいただく。

彼女は、アデオのスタッフとも密に連絡を取ってくださっていて、
細かいスタッフに至るまで、結構ご存知だったりする。
さらに、アデオで短期間ボランティアしたい、
とまでおっしゃってくださった。

ナンバレのランニングにおいて、
彼女の力を借りる、というのはかなりアリなんじゃないかなぁ、と
個人的に思った。


さて、その後はトムと合流して、IECマテリアル作成へ。
一応、ドラフトを昨日提出するものの、ほとんど使われずー。

トムは、
「まあ、俺この現場で5年働いてるから。
 でも、お前のドラフトも参考になったぜ?」
などとフォローしてくれるものの。。

最近、当初のちゃらんぽらん適当おやじ、トムのイメージから、
やるときはやる男、トム、というイメージに変化しつつある。
素敵だ。
オフのトムは若干迷惑だけど(笑


多分今日で、仕事は終わり。
感慨深いかと思ったが、そうでもない。
多分コレは、帰国後の予定が詰まっていて、
感傷に浸るヒマが無いから。

まあでも、旅立ちのときは、また泣くんだろう。
涙もろいし。


土曜は、トムの家で、トムキッズに挨拶をして、
なぜか気に入られたトムの兄貴に、タスカーをおごってもらう予定。
トムの兄貴は、なぜか執拗に僕に、妹を娶るように迫る。
でも、ケニアでは結婚するときに、牛やら金やらを、
新婦の親族に払わないといけないので、ぶっちゃけ迷惑である。
さらに言えば、探すなら自分で探したい、探せる、ので
お気遣い無用なんですけど。。

日曜は、パッキングをして、お土産(といっても、酒とウガリ粉)を
しこたま買い込む。

ま、楽しんできます。

2007年10月4日木曜日

必死!

本当は、昨日の夜に夜を徹して作業をして、
朝には、トムにIECマテリアルのドラフトを出すツモリだったのだが。。

ユースホステルに泊まった結果、
ボランティアに来たドイツ人とルームシェアをする羽目になり、
机も無く、夜を徹して仕事など出来るわけも無く、
結局、なんのアウトプットも無いままオフィスへ。

しかも、午前中は履修申告をせねばならず、
それに時間をとられ、IECマテリアルは進まず。。

すると。。

トム「で、ドラフト、いつもってくんの?」

やべ、アフリカで初めて詰められた。。
しかもトムに。

第一印象はテキトーなおっさんだったのに、
仕事はかなりしっかりしている。

ぶっちゃけこういう張り合いのある環境で働きたかった。。
涙涙。

まあとりあえず、ドラフトは作り終えたが。。


こういうストレス下にいると、タバコを吸いたくなる。。
とはいえ、現在も禁煙継続中なので、頑張る。

でも、相部屋のドイツ人、スモーカーなんだよね。。
今日当たり一本貰ってしまいそうな気がする。。

2007年10月3日水曜日

トムとの仕事

IECマテリアルを作れ、と言われる。
(Information, Education and Communicationマテリアル。
 ビラとか、チラシとか、パンフとか。情報提供とかに使う。)
作らないで帰るのかなー、、などと思っていたがとんでもない。
仕事における責任区分は、明確なようで。

と言うことで、トムとディスカッションした結果、
ユース向けにセックスの初体験を遅らせるようなマテリアルを
作る、と言うことに。

コレって、要は性教育の教材を作れってことですよね・・?
しかも、後2日で。
しかも、英語で。

ハードタスクですよ・・?

基本方針としては、日本での活動を踏まえて、
安全でないセックスの危険性(ヘンな言葉だ)を
十分に認識させた上で、
ユース自らに選択してもらうような内容にしたいと考えている。

その上で、あまり押し付けがましくしたくないので、
所謂、性教育的情報は、必要最低限のものにしたい。。

あと、1週間強あれば、結構良いものが出来る気がするのだが。。

っていうか、常にトムとFace to Faceでコミュニケーションできる環境で働けていたら。。

まあ、たらればを並べてもしかたないので、ひたすらやるしかない。
なんか、ここに来て、また楽しくなって来た。