2008年1月4日金曜日

遠さ

帰国後、3ヶ月が過ぎた。
3ヶ月しか経っていないことが不思議なくらい、
昔の出来事のように感じてしまっている自分が居る。
去年の頭にやっていた就職活動は、昨日のことのようなのに。

それは、帰国後僕がずっと何かをしていた証なのか、
それとも、国の違いゆえの「遠さ」なのだろうか。

年末、ケニアの大統領選挙が終了した。
僕の予想とは裏腹に、現職のキバキ大統領が再選された。

ケニアでは、大統領選挙と議員選挙が同時に行われ、
議員選挙では、野党ODMが大勝。
それなのに、大統領は現職。

選挙シーズンに、ちょうどケニアに行っていた先輩は、
不正があったことは明らかだろう、と言っていた。

そして、ケニアでは今暴動が多発している。
僕がいたブシアでも、民衆が暴徒化し、発砲沙汰になったらしい。
ケニア全体での死者の数は、300人を超えた。

日本では、パキスタンのブット候補暗殺に霞んで、
あまり報道されていない。

これは、ケニアに居た僕でさえ感じている遠さ故なのか。
「アフリカを身近に感じていたい」、その思いは今でも変わらない。
もっとアンテナを張って、
もっと自ら歩み寄って、
そして、周りの人にも歩み寄りを促して。。

ナイロビの、ブシアの同僚たちが心配だ。
無事を祈るばかりである。

2007年10月9日火曜日

Super Departure

Jump! / i-dep

最後はmixiでいつもやっているように、
音楽と個人史のクロスオーバーで閉めようと思う。

(この日記を読んで、僕に興味を持ってくれた奇特な方はどうぞ。
 立ち寄るだけでも結構ですが、申請してくれるとうれしくて死にます。)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3028671

旅、という言葉はたくさんの意味を持っている。
期待と不安、楽しさと悲しさ、笑顔と涙。
相反するものが互いに影響し合って、
それでいて、全体としてはプラスの方向に向かっているような。

今回のケニア滞在は、どんなに僕がケニアに慣れようと、結局旅だったわけで。
嫌なことも楽しいこともあったけれど、
旅立ちの寂しさによって、全体として楽しかったと言えるわけで。

楽しいけれど少し物悲しい、そんな旅の雰囲気を詰め込んだ曲。
僕のケニア滞在を曲にするなら、i-depのJump!かな、と思う。


空港での搭乗手続きはスムーズに進み、
飛行機の発着も定刻どおりに終わる。


飛行機の中で、色々なことを思い返す。

いろんなことから逃げ回っていた高校時代。
大学で海外を飛び回っている人を見て、
純粋な憧れを感じると同時に、
自分にそんなことが出来るのか、という疑念、その行為への距離感を感じた。

2年前、初めてケニアに行ったとき、
一人で海外に行く、という行為そのものにびくびくしていた。
それ自体がオオゴトで、一人で行って帰ってきたことに満足していた。

そして今、一人でふらーっとどこかへ行くことに、
何の抵抗も感じていない自分がいる。
異国の地でも、いつも通りの自分でいられる自分がいる。

It looks like I made it, how far I have come..

高校のときから憧れていた自分、
ここ1,2年、どんどんそんな自分に近づいている。
気持ち悪いくらいぴったり当てはまっていて、
それがとてもうれしくて。

次の目標も漠然と見つけた。
日本でやりたいこともまだまだある。
帰ってすぐの週は予定で一杯だ。

今の気分は、最高。
とにかく飛び跳ねたい。

Jump, Jump, Jump, JUMP!
Jump to the next wish, Jump to the next aim, and Jump to the next myself!

2007年10月8日月曜日

bye bye Nairobi

朝、いつも通り出勤する。
今日の予定は、DEROという本の寄付を行っているNGOに、
リソースセンター向けの本を獲得しに行くこと。

トムとともに、ごっついランドクルーザーに乗り、DEROに向かう。

土曜日にトムと話していたが、このランドクルーザーに乗って、
日本人である僕を連れて渉外に行くことは、
ケニアでは非常に意味がある行為である。

結論から言うと、DEROから218冊の本を獲得した。
なんでこんなことが出来たかと言うと、
前述の、ランクルと日本人の効果である。

日本人から連想されるキーワードは金である。
彼らは、日本人を連れてきたアデオに寄付することで、
回りまわって、利潤を期待する。(それが実行されるか否かは定かではないが。)

トムは、ここら辺のものの道理、社会の仕組みをよく理解している。
しかも、遠慮という言葉をあえて無視するので、
218冊もの本を強奪(この表現がまさにふさわしい)出来たわけである。


その後、トムは別の仕事のため外に出る。
僕はオフィスで、残った仕事を片付ける。

僕のオフィス出発の時間の3時には、オフィスにはあまり人はいなかった。
というか、3時を過ぎても空港に行く気配が無いので、若干あせる。
結局ばたばたとタクシーを調達し、空港へ。
このばたばた感も始終一貫していたなぁ。。


空港での搭乗手続きはスムーズに進み、
飛行機の発着も定刻どおりに終わる。
ちょっと拍子抜け(笑

2007年10月6日土曜日

"ODM!" "Machungwa!"

現在ケニアは、選挙戦真っ只中である。
候補者はたくさんいるものの、事実上の一騎打ち。

現大統領キバキ率いるPNUと、
キバキの元腹心(確か)のライラ率いるODMである。

PNUは、ナイロビに多いキクユ人を中心に、
ODMは西ケニアと、沿岸部、若者を中心に人気。

今日は、キバキとライラの政治イベントがあった。
キバキは、ナクルというリフトバレー近辺の中心都市で、
ライラは、ここ、ナイロビで行われた。

ナイロビタウン郊外の、ウフルパークは、ODMの支持者で一杯。
一杯も一杯。ものすごく一杯。

テレビでも中継されたわけだが、その様子は、
日本で言うところの、フジロックやらサマソニやらを、
もーっと強くした感じ。

政治のイベントというより、お祭り騒ぎである。
ものすごい熱気に包まれている。

で、アデオの人間は西部ケニアの人間が多く、
ODM支持者ばかり。

今日は、トムと一日中、飲み歩きをしていたのだが、
トムも、ODMグッズを購入して、道行く支持者と騒ぎ会う。

"ODM!"

"Machungwa!"

ODMは、Orange Democratic Movementの略。
んで、Machungwaはスワヒリ語でOranges。

みんなオレンジ色のTシャツや、帽子、ポスター、フラッグを持って騒いでいる。
その他の合言葉は、

"No more coruption"

前々から、政治の話になると、
「キバキとライラどっちが勝つと思う?」と人に聞いて回っていて、
以前は、「キバキじゃん?」という意見が多かったのだが、
ここまで周りにライラ派が多いと、案外ライラかつんじゃないのかなぁ、と思ってしまう。

ライラは、経済の自由化による外資流入、それに伴うケニアの経済発展を目指しているらしい。

この国の政治的関心(お祭り、というのもあるだろうが)の高さを見ると、
ちょっと明るい気持ちになってくる。
変えていこうとする意思、というかなんと言うか。

まあ、僕は、あまり詳しくないので、どちらかというと、ライラくらい。
どちらが勝つにせよ、政治を通して、ケニアがよりよい国になることを願っている。


余談だが、最近トムが、僕を良く「Atsu!」と間違えて呼ぶ。
トム曰く、Suzukiは、Atsuのようにスマートになったかららしい。
まー、ありがたいのかなぁ。
小栗さん的には良い迷惑だろう。


因みに、ドイツ人とシェアしていた部屋を引き払い、
自腹で、高いホテルに移動。
高いといっても、日本円で3000円くらい。
ケニアだと大金である。
部屋はめちゃくちゃ広く、シングルなのになぜかベッド二つ。
バスタブ付きで、久しぶりにゆっくりと入浴。

一時的に禁煙を解除して、一本吸ってみるものの、あんまおいしくない。
タバコってこんな不味かったんだと。
なんか普通に辞められそうな予感。


明日は、新しいJOCVの着任に伴う、「Karibu(welcome)パーティ」に、
なぜか参加させてもらうことに。
ありがとう、みっきー!
完全に部外者ですが。

2007年10月5日金曜日

仕事の終わり(多分)

今日は、本とIECマテリアルの発行に奔走。


リスペクトキャンペーンからいただいた寄付は、
ナンバレリソースセンターへの、本と、
IECマテリアルの設置に使わせていただきました。
リスペクトの皆様、後日ご報告に伺います。
(私信でした。)


その合間に、日本大使館を訪問。
厳重な警備をかいくぐり(?)、たどり着いた先は、別世界。
床のタイルを含め、白で統一された建物。
なんか、窓の先には日本庭園風の中庭が!

基本的に、ケニアで白を基調とした内装を行うのは危険である。
というのも、土が赤く、街中でも完全に舗装されているわけではないので、
靴に付いた赤い土が、白に目立ってしまうのである。

それをやってのける日本大使館、
すなわち、丁寧に掃除させるだけの給料を払える、ということである。

まあ、それは置いておいて、GGP(草の根無償援助)担当の塚田さんと、
なしむらえりこさん(ごめんなさい、字が分りません。。)とお会いする。

塚田さんは今週ずっと忙しいなか、わざわざ時間を合わせてくださったのだが、
僕が遅刻したせい(正確には、ADEOスタッフが)で、あまりお話できず。

その代わりに、なしむらさんと話し込む。
とてもフランクな上に、開発という現場での経験を感じさせるお姉さんで、
アドバイスやら、視点やら、色々なものをいただく。

彼女は、アデオのスタッフとも密に連絡を取ってくださっていて、
細かいスタッフに至るまで、結構ご存知だったりする。
さらに、アデオで短期間ボランティアしたい、
とまでおっしゃってくださった。

ナンバレのランニングにおいて、
彼女の力を借りる、というのはかなりアリなんじゃないかなぁ、と
個人的に思った。


さて、その後はトムと合流して、IECマテリアル作成へ。
一応、ドラフトを昨日提出するものの、ほとんど使われずー。

トムは、
「まあ、俺この現場で5年働いてるから。
 でも、お前のドラフトも参考になったぜ?」
などとフォローしてくれるものの。。

最近、当初のちゃらんぽらん適当おやじ、トムのイメージから、
やるときはやる男、トム、というイメージに変化しつつある。
素敵だ。
オフのトムは若干迷惑だけど(笑


多分今日で、仕事は終わり。
感慨深いかと思ったが、そうでもない。
多分コレは、帰国後の予定が詰まっていて、
感傷に浸るヒマが無いから。

まあでも、旅立ちのときは、また泣くんだろう。
涙もろいし。


土曜は、トムの家で、トムキッズに挨拶をして、
なぜか気に入られたトムの兄貴に、タスカーをおごってもらう予定。
トムの兄貴は、なぜか執拗に僕に、妹を娶るように迫る。
でも、ケニアでは結婚するときに、牛やら金やらを、
新婦の親族に払わないといけないので、ぶっちゃけ迷惑である。
さらに言えば、探すなら自分で探したい、探せる、ので
お気遣い無用なんですけど。。

日曜は、パッキングをして、お土産(といっても、酒とウガリ粉)を
しこたま買い込む。

ま、楽しんできます。

2007年10月4日木曜日

必死!

本当は、昨日の夜に夜を徹して作業をして、
朝には、トムにIECマテリアルのドラフトを出すツモリだったのだが。。

ユースホステルに泊まった結果、
ボランティアに来たドイツ人とルームシェアをする羽目になり、
机も無く、夜を徹して仕事など出来るわけも無く、
結局、なんのアウトプットも無いままオフィスへ。

しかも、午前中は履修申告をせねばならず、
それに時間をとられ、IECマテリアルは進まず。。

すると。。

トム「で、ドラフト、いつもってくんの?」

やべ、アフリカで初めて詰められた。。
しかもトムに。

第一印象はテキトーなおっさんだったのに、
仕事はかなりしっかりしている。

ぶっちゃけこういう張り合いのある環境で働きたかった。。
涙涙。

まあとりあえず、ドラフトは作り終えたが。。


こういうストレス下にいると、タバコを吸いたくなる。。
とはいえ、現在も禁煙継続中なので、頑張る。

でも、相部屋のドイツ人、スモーカーなんだよね。。
今日当たり一本貰ってしまいそうな気がする。。

2007年10月3日水曜日

トムとの仕事

IECマテリアルを作れ、と言われる。
(Information, Education and Communicationマテリアル。
 ビラとか、チラシとか、パンフとか。情報提供とかに使う。)
作らないで帰るのかなー、、などと思っていたがとんでもない。
仕事における責任区分は、明確なようで。

と言うことで、トムとディスカッションした結果、
ユース向けにセックスの初体験を遅らせるようなマテリアルを
作る、と言うことに。

コレって、要は性教育の教材を作れってことですよね・・?
しかも、後2日で。
しかも、英語で。

ハードタスクですよ・・?

基本方針としては、日本での活動を踏まえて、
安全でないセックスの危険性(ヘンな言葉だ)を
十分に認識させた上で、
ユース自らに選択してもらうような内容にしたいと考えている。

その上で、あまり押し付けがましくしたくないので、
所謂、性教育的情報は、必要最低限のものにしたい。。

あと、1週間強あれば、結構良いものが出来る気がするのだが。。

っていうか、常にトムとFace to Faceでコミュニケーションできる環境で働けていたら。。

まあ、たらればを並べてもしかたないので、ひたすらやるしかない。
なんか、ここに来て、また楽しくなって来た。

2007年10月2日火曜日

創業者という存在

また、ナイロビでの事務仕事に戻る。
事務仕事の方が気が楽。

ウェブの修正やらニュースレターやらを作成しつつ、
夜は、ウェソンガと彼の友人とのみに行く。
彼の友人もDrで、名前をDr.マルイという。
ケニア人である。

「コンニチハ、マルイデス」と挨拶をされる。
この挨拶だと、完全に日本人である。

さて、このDrマルイ、実はアデオの設立スタッフの一人らしい。
そういえば、彼の名前を前の研修生の日記で見たような。。
今は、彼はmerlinというUK系のNGOで働いているそうだ。
このNGO、ケニアで初めて会った日本人の、Drクモンと同じである。
もしかしたら同僚なのかも知れない。

日本に発つ前に、Drマルイと飯を食う約束
(多分達成されないが、是非ご一緒したい)をし、
ウェソンガとともに、ウェソンガ邸へ。

道中、ウェソンガとトーク。
先日、彼が、五年後にMember of Parliamentに立候補する、と言ってたので、
本気なのか、突っ込んで聞いてみると、本気だと。

んじゃ、ADEOはどーするんですかと聞くと、
「ウェソンガはADEOじゃねーよ」と。

確かにその通り。
しかし、気づかないうちに、創業者=会社的なイメージでいた上、
アデオといえばウェソンガ、というイメージがあったので、
ちょっと衝撃。

引継ぎもちゃんとやってるよ、と。
アデオジャパンもここら辺、ちゃんとやれると、
組織として盤石になってくるんだろうなぁと思う。

2007年10月1日月曜日

JICA訪問

ナイロビに戻ってくる。
ウェソンガとトムを連れて、JICAの調整員の千葉さんに会いに行く。
ここら辺は日本人、という強みが利くと実感。

さすがに編みこみの髪のまま訪問するわけには行かず、
髪は前日に解く。

目的としては、トムとウェソンガと千葉さんの顔合わせと、コネクション。

昨年、受け入れ要請の最終段階まで行っていたにもかかわらず、
結局振り出しに戻っており、
しかも、こないだ、受け入れ要請を締め切ったばかりで、
申請が通るには、一年以上かかるだろう、とのこと。

ああああ。。。

リソースセンター、不安が残ります。

2007年9月30日日曜日

ケニアの車窓から

ブシアからナイロビへ。
帰路の始まりである。

とはいえ、ケニア滞在の目的を果たし終えていないので、
気を緩めるわけには行かないのだが。

昨日のホテルスタッフとのフェアウェルパーティで気づいたのだが、
カメラが壊れかけている・・!
僕のじゃないのに。。

と言うことで、車窓からと言いつつ写真は撮れず。

しかも、道路の状況は概ね悪い。

ブシア→キスム→ナクル→ギルギル→ナイロビ
という感じで進むのだが、

道がまともなのは、ブシア→キスム間と、ギルギル→ナイロビ間のみ。
他はめちゃくちゃ道が悪く、時折横転の危機を感じる。
ゆれが激しいからかどうかは知らないが、
バスに乗っていると気絶するほどの眠気に襲われる。

ということで、頑張って景色を楽しもうとするものの、たまに気絶。

主に感じたことは、
・使われていない土地が多い
・組織化の香りがしない。
など。

2007年9月29日土曜日

青く、落ちてきそうなほど低い空の下で

ブシア最後の日である。
前日、クラブで象徴的な出来事があって、センチメンタル。
その上に、ものすごく眠い。

起きると、ホテルのオーナーが、
僕のためにホテルの金で、小さなフェアウェルパーティーを開いてくれる、と言ってくれた。

その後、予想通りマルセラがバスのブッキングに失敗したので、
自分でブッキングをしに行く傍ら、
ブシアのタウンを一通り歩いてみる。

外を歩き、2ヶ月見慣れた景色を見ているだけで、
涙があふれてきそうになる。

さらに、外を歩くと、必ずと言って良いほど知り合いに出会う。

いつも朝食を買うキオスクで、いつも去り際に、
「come again」と声をかけてくれるおっちゃんに、
「No」と答える。
行き着けのネットカフェの店員にさよなら。
FHIのムヨンガに、今度ブシアに来るときはJOCVでFHIで、と言う。
僕のペンを盗もうとした、Kehasoのアンソニーは、
収入が無いのに、僕に昼飯をおごってくれ、
肉屋のせがれのPEは、僕のCDを一緒に選んで、
僕をホテルまで送ったあと、今日の夜さよならを言いたい、と言ってくれた。


僕は、ここの人たちがすばらしい、なんていうつもりは全く無い。
自分勝手な連中は多いし、
モノは盗もうとするし、
仲良くなると次には金の無心。

正直うんざりすることも少なくないし、
分かれたくない、なんてことは全く無い。
もう二度と会いたくねーよ、というヤツも少ないがいる。

あと2週間を切ったあたりから、
さっさと帰りたい、という気持ちも無きにしも非ずだ。

それに、ここの連中は、誰も僕を放っておいてくれない。

時には僕からのお金を求めて、
時には何の見返りも求めずに、
常に、僕に声をかけてくれる。


別れの寂しさでも、人の温かさでもない。
ただ、理由も無く涙が流れてくる。
こんな涙は生きてて初めてだ。

僕は、この2ヶ月弱、
この赤道の下の、青く、落ちてきそうなほど低い空の下で、
どんな存在として生活し、
どんな存在として存在し、
どんな存在意義を残せたのだろうか?

僕は、またこの街に来たいと思っている。
また来るだろうか?
来られるだろうか?
来るとしたら何をしに来るのだろうか?

答えの出ない自問自答ばかりだけれど、
ひとまず、さようなら、ブシア。
僕は、この街が、人が、好きなようです。

2007年9月28日金曜日

モノに飢える人々 pt2/ インタビュー /禁断の果実・・

今日は、マンスリーミーティング。
ブシアでPEたちに会うのもこれが最後。

今日の僕のミッションとしては、つつがなく彼らにIECマテリアルを配って、
ちょっとしんみり挨拶して、お別れをすること。

・・と思っていたのだが!
しんみりもクソも無く、
怒涛のようにパンフレットやテキストや、ステッカーに群がるPEs!

「これ16個!」
「つか、これどこにサインすれば良いの?」
「・・・(勝手に取っていこうとする連中)」

並ぶとか、行儀良くとか、待つとか、
そういうカルチャーは無い。
自分の配給が割り当てられればそれで良いわけで、
僕のテンパり具合やら、ひっちゃかめっちゃか具合などお構いなしである。

やれやれ・・・


MTG後、今までなかなかつかまらなかったPEのハビーブを捕まえて、
インタビューを行う。
聞いた項目は、何でボランティアでPEやってるのか、
何がモチベーションなのか、
次に、どんなことをしたいか、など。

彼は、イスラームなわけだが、
そんな彼が、イスラームにはあまりいないであろうPEであり、
さらにアクティブなPEの一人なので、
彼にインタビューを試みたのだ。

普段はおちゃらけているハビーブだが、
インタビューはものすごくまじめで、
実りのあるものだった。

ビデオを撮ったのでいつか共有したいと思う。
(ウェブカメラだから音・画質悪いが。)



日本を去るときに、僕は髪を切らなかった。
お金を節約したい、時間が無いなど理由はあるものの、
隠された理由が一つ。

日本ではぜーーーったいにやらない、
プレート(編みこみ)をやってみよう、という。。

今までは、「似合わないし、まあ良いか。」で済ませていたのだが、
ウガンダで研修していた学生の日記を読んで、
プレートしました、という記事があり、
「剛(研修生の名前)がやってるなら、俺がやってもセーフだろ。。」
と思い、ついにプレートに手を出すことに。。。

で、やってしまった。
ブシアでは、日本人はタダでさえ目立つのに、
さらに、ダメーな意味で目立っている感じ。

僕を知っている人は、
「you look smart」などと言ってくれますが、
明らかに、お世辞としか思えずー。

今までは、ブシアに馴染むことがメインだったが、
残り2日になって、よそ者意識が芽生えたのか、
旅の恥は掻き捨て根性で、やってみました。
ヒジョーに後悔しています(笑

2007年9月27日木曜日

毎度のことながら。。

告知はいつも突然なわけで。
今日も、PEとの月例ミーティングがあったはずだったが、
明日に延期。
理由は、他のNGOやら行政の偉い人やらとのミーティングに、
ブルーノが参加しなければならないため。

これは、と思って、ブルーノに付いて行く。

道中、マルセラから電話。
「あんたどこ居るの?ナンバレ行くわよ?」
何でも、トムが来ているらしい。
こっちも、事前告知なし。
っていうか、昨日までトムとメールのやり取りしてたんですけど。
一言くらいメールの文面で知らせてくれてもいいだろうに。。

偉い人とのミーティングは、
ほとんど情報共有と、活動報告という感じで、
議題らしい議題は無く、
ぶっちゃけた話、ネットワーキングとキャッチアップが主眼と思われる。

以前ナンバレでお世話になった、CACCのおじさんに挨拶。

にしても、なんでミーティングをわざわざ高いホテルでやる必要があるのか。
このミーティング、お茶にお菓子に昼飯に、水(高級品)に、文房具一式まで付いてくる。
で、これだけの出資をして何かアウトプットがありそうかと言うと、
結構疑問。

昼食の時間に、残りの仕事を仕上げねばならなかったので、
オフィスへ引き上げる。


ちまたでは学校が始まったようで、
僕も履修やらなんやらしなければいけないわけだが、
僕はあと1週間強、ケニアでのべーっと暮らします。

因みに、タバコ辞められそう。
すごい。


夜は、トムと会計のアモスと、マルセラとブルーノで、
CACCという行政系のポジションのおじさんを接待。

酒の席で、トムに、
「you look mature! you look old! you are like Atsu!」と言われる
一番初めのは、ほめ言葉だとして、あとの二つはどうなんだろう。。
アツは、4年前の研修生なわけだが、
トムの中では、like Atsuは超ほめ言葉っぽい。。

トムと仕事の話を、少しする。
多分この人と一緒に働いていたら楽しいんだろうなあと。
小栗さんは楽しかったろうなぁと。


さて、接待ということなわけだが、
トムはブランデーを三本空け、酩酊状態、
CACCのおじさんは、実はアモスのいとこだということが判明、
僕もすきっ腹にだましだまし、ビールを飲むものの、
とりあえず腹が減って死にそう。
CACCのおじさん、マルセラ口説いてるし。。。

と言うことで、所謂日本的な「まぁまぁまぁまぁ」的接待はこれっぽっちも無く、
ひたすら飲んで、終了。

飲んでて思ったのだが、この人達はソーファニーである。

2007年9月26日水曜日

停電・・・

さて、オフィスワークをしようと思ったときに停電されると、
何も出来ないわけで。

さらに、タバコの禁断症状で、
マルセラに、「あんた、顔色悪いわよ」とまで言われる。

そこで、オフィスで寝る・・・
気づくと、4時。
まだ停電していたので、マルセラと帰る。

一日ってこんなに無駄に出来るのか、と
改めてびっくりした一日。

2007年9月25日火曜日

一人カスピ海レース

分る人にしか分らないネタ。
そして、分る人は多分この日記を見ていないだろうという。
(ググっても出てこない言葉です。)

さて、一人カスピ海レースに加えて、
摂食、禁煙を開始。
ラマダンだしね。

と言うことで、現在3つのabstainをしているのだが、
日中のいらいらは半端ではない。

以前、禁煙したとき授業中以外ずーっとタバコのことを考えている、
という始末だったのだが、今回も仕事の集中力が切れると、
タバコのこと以外考えられなくなる。

特に、夕方がつらい。
疲れてくる上に、空腹と禁煙のいらいらが重なるのだ。

ということで、昼間から、キスムのホテルでくすねた(ケニア流)、
爪楊枝をずーーーーっと噛んでいたのだが、結局挫折して、
一本吸う。

・・・・徐々に減らしていこう。。。

因みに、ニュースレターは、フリープレイラジオの部分は完成。
マルセラは、「マンスリーミーティングとかも付けなさいよ。」と言うが、
ミーティングをどうやって記事化すればいいのか・・?
PEの自主性に任せて、エンパワーメントしてます、みたいなことを書けば良いのか・・?

まあ、明日は一日ヒマなので、
ニュースレターの加筆修正でもしよう。

2007年9月24日月曜日

ブシア最後の週

ぶっちゃけた話、今月はなーーーんにも活動が無かった上、
参加できるはずの活動にも、ブルーノ君の怠慢っぷりにより、参加できなかったので、
ニュースレター(広報誌)もクソもねー!
と、個人的には思うのだが、
上司のトムが待っているので、ニュースレター作成開始。

記事は、とりあえずロケーションフリーのラジオの配布式と、
サッカートーナメント(丸写しの上、写真なし・・・)、
後は、ナイロビにて、ナンバレ向けのIECマテリアルを購入予定なので、
それについてでも、記事にしようかと。


少し早めだけれども、個人的にこの研修を振返ってみる。
この研修はADEO的には、「失敗」だと思う。

失敗だと思う要因として、
・当該組織、ADEOに対して利益をもたらしていない
・当初のジョブディスクリプションの半分も達成していない

まあ、下の要因はぶっちゃけて言えば、僕のせいではない。
FHIとかブルーノとかのせいである。
さらに言えば、IECマテリアルの開発に関しても、
実際のアウトリーチに参加できなかったので、
どんなマテリアルが不足しているのかが分らなかった。

リスニングしろ、という話もあるが、
PEsにリスニングしても、僕の範疇外の事柄(ラジオくれ、テレビくれ)しか
返ってこないから、リスニングはしなかった。

「失敗」だからかどうだか知らないけれど、一番偉い人であるウェソンガは
びっくりするぐらい僕の相手をしてくれない(笑)
まあ、忙しいのかもしれないけれど。


で、僕としてはこの研修、成功とは言えないまでも、
とても実りのあるものだったと感じている。

要因としては、
・かなりこちらの生活に馴染んだ
・日本に加え、「ケニア」という国で働いていける自信がついた。
・新スキル、「飛び込み渉外」を覚えた
・楽しい。あんま帰りたくなし。

こんなところ。
馴染みすぎたのか、最近日本と同じようにだらだらしていたのだが、
残り2週間切って、またよそ者意識が芽生えたのか、
日記もこまめに書き、その他の勉強(スワヒリ語なり論文読みなり)も、再開した。

正直、もっと長ければ、という気がする。
短期滞在ゆえに、わざと手を出さなかった分野もあったりする。
(他のNGOの訪問、一人夜遊びなど。)

この研修を成功足らしめるとするならば、
JICAとの連携を成功に持っていけたときだろうか。
とりあえず、トムかウェソンガに連絡して、
千葉さんとの面会の日程を決めなければ。

2007年9月23日日曜日

事故事故事故

環境の良いホテルで気持ちよく眠って、気持ちよく目覚める。
さらに、朝食も付いていたので、
レストランに行って、朝食をとる。

ブシアで泊まっているホテルとは比べ物にならない速さで、
朝食が出てきたことに感動しつつ、
さらに、紅茶とコーヒーを選べることに感動しつつ、完食。

ホテルを出ると、
「プーーーー!! ごしゃ。」という音が。
まーただよ。

バスと、ランドクルーザーが正面衝突。
大事には至らず、ランクルの運ちゃんとバスの運ちゃんが、
喧嘩を開始。
人々も駆け寄って、集まってくる。
不謹慎だが、もはやエンターテインメントの一つ、といった感じである。
中には、喧嘩を制する人たちも。
ここら辺で、制する人がいる当たり、日本とちょっと違うかな、と思う。

ホテルに泊まっていた白人観光客ご一行は不安げに、
この暴動の様子を見ていたが、
僕としては、慣れたもの。
実は、昨日のトゥクトゥク以外にも、行きのマタツ車内から事故現場を目撃したし。。

帰りは、マーケットに行ってお土産でも買おうかと思ったのだが、
購買意欲が起きず、断念。
前回の訪問のときは、1週間で10万くらい使っていた気がするのだが、
今回は、一ヶ月で10万も使っていない。
ケニアの相場を知ったのか、お土産を買う必要が無いくらい馴染んだのか。

明日はブシア最後の週の始まり。
心残りの無いようにしよう。

2007年9月22日土曜日

キスムへゴー

せっかく、ビクトリア湖の近くに住んでいるのだから、
一度は見たいと思っていた、レイク・ビクトリア。

本当は、入り江のキスムではなく、ポートビクトリアに行きたかったのだけれど、
バスの本数が少ないし、JICAの人がキスムに居るので、
面会がてら、キスムのレイク・ビクトリアの入り江を見に行くことに。

ブシアを朝7時に発って、同じく朝10時にキスムに到着。
降り立った場所が、すぐにマーケットにつながっているので、
マーケットをぷらぷらする。
湖畔の町だけあって、魚が多い。

そして、面会の時間には早い感じだったので、
地球の歩き方の地図を見ながら、放浪。

っていうか、キスムでかい!超都会!
ムズング(白人)超いっぱいいる!
インド人も中国人もいる!
すげーー!!!

キスムの都会っぷりにびっくりできる、ということは、
かなりブシアライフに慣れた、ということを意味していると思う。。
都会の空気に、少しびくびく。
母ちゃん、キスムは怖いところだでよ。

11時を回って、JICAの調整員の千葉さんに連絡をする。
30分後に再度連絡下さる、とのことだったが、40分たっても、
連絡が来る気配が無い。
千葉さん、アフリカンタイムになってますよ。

仕方ないので、ボダボダ(タクシーを使わないあたり、ブシア在住っぽい)を駆使して、
ドゥンガビーチへ。

ブシアではお金を使うところが無いので、
ここぞとばかりに、奮発してビクトリア湖周遊に出かける。
しかし、高い。。。

30分の交渉の結果、1000KSH値切ることに成功。

ツアーは、カバの居るポイントを回る、というもので、
正直、カバには感動しなかったが、
ビクトリア湖の上に居る、という事実にわくわくする。

ブシアに比べると、日差しが強く、正直倒れそうだったので、
帰りは、バイクで街まで戻る。

結局、千葉さんに会えたのは、3時半ころ。。

面会は有意義だったと思う。
報告はまた後ほど。
が、この面会を生かすには、ちゃんとナイロビのアデオに連絡をしなければ。

面会中に、ウェスタンケニアのJOCV数名が乱入してくる。
なんとその中に、三木さん(昨年の日本での活動仲間)が!
キスムの夜は、楽しくなりそうな予感を感じる。

その後、一泊1200KSH(ブシアの4倍!)もするホテルを予約。
ホテルは、蚊帳もしっかりしていて、清潔で、
シャワールームもものすごく綺麗。

夜は、JOCVの人達と中華を食べに行く。
その日は、ケニアに来ておそらく初めて、ウガリを食べなかった。

帰りは、トゥクトゥクという簡易タクシー見たいのに乗って、帰る。
途中、人が道路を渡ろうとしていたのだが、
その人が微妙にわたるのを躊躇している瞬間に、
僕の乗っていたトゥクトゥクが人を撥ねる!
「エエー!マージデー!?」という感じ。

テレビの映像とかで、人を撥ねる瞬間は見たことがあったが、
まさか、実際に見ることになるとは。。。
まあ、多分そんなにスピード出してなかったから大丈夫だと思うが。。

厄介ごとに巻き込まれると嫌なので、別のトゥクトゥクを拾って、
そそくさと逃げる。

キスムは、都会だった。
ブシアとの一番の違いは、お金を使うところがたくさんある、ということ。
その分、物価も高いし、QOLも高い。
例えば、ブシアでは冷たい水を頼んでもそんなに冷たくない。
が、キスムでは頭が痛くなるくらい冷たい水が出てきた。
さらに言えば、ブシアとは女の子のきれいさが全然違う。
まさに田舎娘と都会っ子という感じ。

貧困という概念は、比較から始まる、というが、
まさにそれである。
だから何?という感じだが、
とりあえず、それを実感した、という話まで。

2007年9月21日金曜日

最後のナンバレ(多分)

今日の午前中は、ようやく、ラジオの配布式が行われた。
いつも見慣れた、アクティブなPEたちに、ラジオを配布して、
それをネタに、人を集めて、ピアエデュケーションをさせよう、というもの。

まあ、ぶっちゃけた話、ラジオがピアエデュケーションに使われるとは到底思えないので、
正直、お金の無駄だと思う。
もしくは、ただのPEへのインセンティブ。
FHIは、正直お金の使い方が下手だなぁ、とたまに思う。

しかし、見慣れた面々がうれしそうにラジオを受け取っているのを見ると、
こっちもうれしくなるものである。

で、なんでこのラジオの配布式が遅れていたかというと、
他のNGOとの連携の問題。

ブシアのROADSプロジェクトは、FHIというNGOの主導の下、
ADEO、PATHの2つ(もしかしたらもっと)のNGOが実働を担う、という状況である。

FHIは、USAID経由でADEOにお金を渡す。
主に、全体の取り仕切り、決定権限を持っている。
ADEOはもろもろの実行に責任を持っている、いわば現場責任者、
PATHは、PEたちのトレーニングを主に担当している。

で、PATHの連中となぜかコミュニケーションがとれず、
ずーっと延期されていたわけである。

さらに言えば、今月は2つのトレーニングが予定されていたが、
それも行われていない。
これも、PATHとの連携の問題。

NGO同士の協働というと、聞こえはいいが、
実情は延期延期延期延期・・・である。


配布式終了後、急いでナンバレへ。
今日のマタツは、2年前の暴力乗り合いタクシーよろしく、
15人乗りに、30人近く。
狂ってます。

今日は、ナンバレタウンシップという最も近いエリアへ。
結構な数のPEが集まっていた。
ディスカッションの内容は、あんまり変化が無いので、正直飽きてきている。
そこで、今日は、フレイレ的意識化の実践みたいのを行ってみた。

PEたちは、あれが問題これが問題、と次々と要望を挙げていくわけだが、
どれか、彼らにとって一番の問題なのか、
それを解決する方法は無いのか、
等など、質問してみた。

結果としては、あまり上手くいかず。。
というのも、僕もPEも英語に問題があるため。
後何回かミーティングに参加すれば、なんか分る気がするんだけどなぁ。。
エンパワー、言うは安し、行うは難し。

その後、アイザックに勧められて、ロッククライミング。
ナンバレは、丘陵地帯という感じで、比較的なだらかなアップダウンが続いている
(自転車走行は大変。)
で、その平原の中に、ぽこぽこと岩が出ている。
岩の質から、噴火の跡地という感じ。

天辺までは、サトウキビをかじりながら10分足らずで着いたのだが、
そこからの眺めは、最高。
なだらかな中に、ぽっこり出ている岩なので、ものすごーーーーーく遠くまで見える。
ふと思ったが、観光っぽいこと、初めてしたような。。。

まあ、当初の目標として、仕事をしにケニアに行くわけで、
観光は後回し、と設定したので、、と言い訳をしてみる。


ナンバレの街に帰り、昨日と同じようにアイザックと分かれる。
「明日は・・・」と言いかけて気づく。
今日で最後だ。

アイザックと過ごした時間はそんなに長くないけれど、
僕は、誠実なアイザックがとても好きだ。

「Tutaonana tena(また会おう)」
とても不確かで、不誠実で、無責任な言葉だが、
そう言わずにはいられなかったし、
絶対にまた会いたいと思う。
不確かで不誠実で無責任だけれど。

そのまま、ホテルに帰宅。
僕のスワヒリ語ティーチャーの、ホテルスタッフたちとも、
ブシアにいるのは後一週間だ、という話をして、
ともに感傷に浸る。

正確には、感傷というより、後一週間後には
ここを離れるという現実に現実感が無い。
信じられない、という感じ。

明日は、絶対に見たいと思っていたビクトリア湖の観光がてら、
JICAの調整員の千葉さんとお会いしてくる予定。
一人ロングトリップ。
楽しみ。

残り少ないブシア、ここに来てようやく楽しみ方、動き方に確からしさを感じる。
いつだって、時間は足りない。

2007年9月20日木曜日

彼我の境界

「ケニアにきたら、一日一ドル以下生活を実践するぜ!」
などといきまいていたのだが、
ブシアは予想外に街だったので、全然そんなこと実践できずにいたのだが、
今日、ブハイヨイーストに向かう途中の食堂で、
20KSHのニャマシチュー(ビーフシチュー)とウガリを発見する。

ブシアの中級ホテルでは、ニャマとウガリは120KSH。
通常の飯屋で食べれば、80KSH~60KSH。
40KSHくらいまで来ると、結構安いなぁという感じ。

「やった!一日一ドル以下生活?」と思って、注文。

しかし、この物体、今までの人生で食べた肉の中で最もまずい。。
なにせ、ウンコのにおいがするのである。
肛門の肉なんじゃないかと思うくらい。
40KSHくらいまでは、おいしく食べられる肉が出てきていたので、
正直油断していた。。

しかもウガリ、黒ウガリだったのだが、この黒ウガリ、曲者で、
入念に準備がされていると、白ウガリよりも味わいがあり、おいしいのだが、
安いところで食べると、半端なくマヅイ代物なのである。
しかも、冷めていたし。

肉は2ピースだけだったので、なんとか我慢して食べるものの、
ウガリは完食できず。。


一日一ドル以下の生活を実践して、
「貧困ラインっつっても、生きられるぜ?」
などとのたまって、貧困を身近なものにしてしまおう、
とひそかに狙っていたのだが、正直ムリである。

正確に言えば、一日一ドル前後で生活することは可能といえば可能だと思うが、
僕にはムリである。

20KSHと40KSHには、見えないが確実にラインが存在している。

多分僕は20KSHの昼食のために、腹を壊すだろう。
非衛生的な環境の食事と、生水のため。

しかし、もし僕がずーっとこの食事と生水で生きてきていたら、
そして、僕がすこぶる健康だったら、
僕はこの環境下で生きていくことが出来ると思う。

しかし、一度病気になったら、この環境下で生きていけるのか?
一日食べるのでいっぱいいっぱいなお金を医療に費やせるのか?
さらにこの「医療」、医者へ払う金や薬のことではなく、
健康な状態でもきつい、暑く、長い道のりを、徒歩で、自転車で、
あるいはお金をボダボダやらマタツやらに払って、行くことが出来るのか?

僕の感想としては、答えは限りなくNOに近い。

貧困と言う状態、実際に経験したわけではない。
さらに、今日感じたものよりも、ひどい状態にいる人もいるだろう。

余談だが今日、蚊以外の虫に刺された模様。
右腕に鋭い痛みがある。
病院にいこうかと思ったが、
超混んでいるのでやめた。

日本だったら、
「大事をとって病院行っておくかー」
という思考になると思うが、
ブシアでは、
「混んでるし。。」
となる。
多分、大丈夫だと思うが、
もしこれが致死率の高い虫だったら?
貧困ならずとも、ブシアの医療には問題を感じる。