2007年8月25日土曜日

神、先祖、来世、現世・・

パキスタン人の伝道師、Dr.マクブールに話しかけられる。
下手に乗って、宗教論議をする。
なぜか気に入られてしまい、彼の部屋に行って聖書を頂く。。

彼の部屋には、その他二人がいて、
彼らは、ケニアでビジネスをしつつその収益を、
学校建設やら、職業訓練所やらに回そうとしている人達。
宗教的情熱ってヤツだろうか。

さらに、彼らに付いて、教会に行く。

教会では、初め、ドラムとエレクトーンの生演奏によるゴスペルが。
みんな踊ってるし、スピリチュアル。

次に、説法。
神は永遠!神はあなたの隣に!信じれば箱舟に乗れます!
という旨のことを、牧師がセンセーショナルに説く。
僕は仏教の説法しか聞いたことが無いが、
それと比較すると、ものすごく感情的な印象。

その後、祈りの時間に。
人々はもはや泣き叫んだり、
感極まって、失神したりしている。

で、そんな環境の中でどうすることも出来ず、とりあえず思案。
結果、僕と一神教を信じる人たちの間の違いに気づく。

僕は、仏教(のようなもの)を結構信じている。
常に先祖は、僕の周りに居て僕を守ってくれていると思うし、
その感謝として、ちょくちょく仏壇の前で頭を下げるし、
彼岸の墓参りにも意識的に行く。
ついでに言えば、輪廻も信じている。

で、僕は先祖に何を願うか、といえば、
現世での安寧、平穏、成功などなど。
多分皆さんも、神社やらお寺の前で、
「第一志望に受かりますように」
とかやったはずである。

んで、一神教の人たちは、神を信じる。
そして、教義的には、彼らは、
来世での安寧、平穏を願うわけだ。

では、神とは何か、という話について。
マルセラ並びに、イスラム教の教授の説を引用すると、
「God is source」、「ビッグバンの向こう側に居る存在」。

イスラム教の教授によると、科学ではビッグバンまでさかのぼることが出来たが、
それ以前にはさかのぼることは出来ない。
それでは、ビッグバンの原因は何かというと、それが神だそうだ。
マルセラの言説もこれとほぼ同義であろう。


なんか、まとまりが無いが、
僕は、「無形」、「ただ存在するもの」、「源」としての神という概念を理解し、
結構受け入れられるようになった。
しかしそれと同時に、先祖の存在、現世利益についても信じている。
この節操の無さは、日本人ゆえなのだろうか・・?

2007年8月24日金曜日

となりの貧困

ナンバレ再訪。
ナンバレは、ものすごく田舎。
見た目的にも、状況的にも沖縄あたりの離島と似ている気がする。

例えば、ナンバレにすんでいる人は、医者へのアクセスが極めて悪い。
通常は、ヘルスセンターに行くことになるが、これは簡易処置と緊急処置が中心。
しかも、医療従事者に対して、患者の数が多い。
本格的に医者に見てもらうには、マタツ(乗り合いタクシー)に乗って、
三十分程度移動する必要がある上、
たどり着いたブシアの病院も混んでいる。

それに、多分医療費を十分に払うことは出来ないだろう。

なぜこんなことがいえるかというと、
ナンバレのADEOオフィスのスタッフの給料について知ったため。
ナンバレのオフィスには二人のスタッフが居るが、
確か、サラリーは無い。

さらに、月収換算すると、一人は、5000KSH、もう一人は、3000KSH。
約、7500円と4500円である。

経済学では、一日1ドル以下の生活をしている人のことを貧困と定義することが多いが、
その状況すれすれである。
というか、家族構成等を加味すれば、貧困そのものである可能性すらある。

豪奢に見えたナイロビのオフィスとは一転、
清貧NGOの姿がここにある。
もしかすると、給料をもらえているだけ他の人よりマシなのかもしれない。

半数の人が貧困下で暮らしているケニア。
みんな、一見普通に暮らしている。
ただ、もし病気になったら、怪我をしたら、災害が起きたら、
そんなアクシデントに極めて弱い状況、
それが、貧困というものなのかも知れない。

2007年8月21日火曜日

ふらつき禁止令

【業務報告】
Steering Committee Meeting(3h)

【雑記】
マルセラが、Dr.ウェソンガと、僕の動向について話したらしい。
その結果、PEとふらつくことが禁止された。
PEが、僕を毒すだろう、という見解の元で。
彼女曰く、「誰もが友達、ってわけじゃないのよ?」
しかし、僕はむしろトムに毒された気がするのだが。。

まあ、それはおいといて、
確かに、PEの何人かはゴロツキのように見えるし、
注意するに越したことは無いと思う。
以前の研修生もPEにカメラを盗まれたらしいし、
仲良くなると、大抵次には金の無心が来る。


しかしこの禁止令は結構イタイ気がする。
PEにほいほい付いていって、仲良くなることで、
ブシアの様子とか、PEの活動状況とか、彼らの生活とか、
色々学ぼうと思っていたのだが。。
結局僕も、海外に行ってちやほやされて、危ない目にあう
日本人の女の子と大差なかった、ということか。

また、
NGOとPE、結構一緒にいるし、仲もよさそうに見えるが、
心底信頼し合っているわけではない、という、
なんとも微妙な溝、というかパワーバランスを感じた一日だった。

これからは、日本人であることを活かして、
在ケニア邦人からの情報収集などを中心に、
活動の幅を広げていく方向にシフトしていこうと思う。

2007年8月20日月曜日

2週間経過。

驚くほど仕事が無い。

【雑記】
「仕事無いよ?」と日本で言われていたものの、ここまでとは・・
ここ2、3日間の廃人っぷりとあわせて、そろそろヤバイ感じがする。

PEとふらつく。

アウトリーチ、と言ってもその種類は多様であることを改めて実感。
例えば、国境近辺で越境関連の書類作りをしているアンソニーは、
トラックドライバーの待機所みたいなところで、
ドライバーに対して、アウトリーチ(HIV/AIDSの情報提供みたいな)を行っている。

また、道端で偶然見かけたのだが、
あるおばちゃんは、物を売りながら、アウトリーチを行っていた。
イメージ的には、寅さんみたいな感じ。

アンソニーとも話していたのだが、アウトリーチを行う際に、
いろんな人に興味を持ってもらうためには、
まず、彼らをひきつけるようなことが重要である。

例えば、日本で僕達は、クラブイベントをやって、
その中で、アウトリーチをしたりしていたわけだが、
改めてその意味合い、その理由が分った気がする。

その中で、彼はトラックドライバーの待機所(入管からは離れている)を、
入管の近くに持っていって、テレビや飲み物などを置いて、
トラックドライバーだけではなく、旅行者や一般の人など、
もっと多様な人が来るようにしたいといっていた。


とりあえず、広報誌の下地作りでもはじめよう。。

2007年8月19日日曜日

廃人生活その2

前日に続き、一日中廃人。
悪いことに何もしてない。