2007年10月9日火曜日

Super Departure

Jump! / i-dep

最後はmixiでいつもやっているように、
音楽と個人史のクロスオーバーで閉めようと思う。

(この日記を読んで、僕に興味を持ってくれた奇特な方はどうぞ。
 立ち寄るだけでも結構ですが、申請してくれるとうれしくて死にます。)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3028671

旅、という言葉はたくさんの意味を持っている。
期待と不安、楽しさと悲しさ、笑顔と涙。
相反するものが互いに影響し合って、
それでいて、全体としてはプラスの方向に向かっているような。

今回のケニア滞在は、どんなに僕がケニアに慣れようと、結局旅だったわけで。
嫌なことも楽しいこともあったけれど、
旅立ちの寂しさによって、全体として楽しかったと言えるわけで。

楽しいけれど少し物悲しい、そんな旅の雰囲気を詰め込んだ曲。
僕のケニア滞在を曲にするなら、i-depのJump!かな、と思う。


空港での搭乗手続きはスムーズに進み、
飛行機の発着も定刻どおりに終わる。


飛行機の中で、色々なことを思い返す。

いろんなことから逃げ回っていた高校時代。
大学で海外を飛び回っている人を見て、
純粋な憧れを感じると同時に、
自分にそんなことが出来るのか、という疑念、その行為への距離感を感じた。

2年前、初めてケニアに行ったとき、
一人で海外に行く、という行為そのものにびくびくしていた。
それ自体がオオゴトで、一人で行って帰ってきたことに満足していた。

そして今、一人でふらーっとどこかへ行くことに、
何の抵抗も感じていない自分がいる。
異国の地でも、いつも通りの自分でいられる自分がいる。

It looks like I made it, how far I have come..

高校のときから憧れていた自分、
ここ1,2年、どんどんそんな自分に近づいている。
気持ち悪いくらいぴったり当てはまっていて、
それがとてもうれしくて。

次の目標も漠然と見つけた。
日本でやりたいこともまだまだある。
帰ってすぐの週は予定で一杯だ。

今の気分は、最高。
とにかく飛び跳ねたい。

Jump, Jump, Jump, JUMP!
Jump to the next wish, Jump to the next aim, and Jump to the next myself!

2007年10月8日月曜日

bye bye Nairobi

朝、いつも通り出勤する。
今日の予定は、DEROという本の寄付を行っているNGOに、
リソースセンター向けの本を獲得しに行くこと。

トムとともに、ごっついランドクルーザーに乗り、DEROに向かう。

土曜日にトムと話していたが、このランドクルーザーに乗って、
日本人である僕を連れて渉外に行くことは、
ケニアでは非常に意味がある行為である。

結論から言うと、DEROから218冊の本を獲得した。
なんでこんなことが出来たかと言うと、
前述の、ランクルと日本人の効果である。

日本人から連想されるキーワードは金である。
彼らは、日本人を連れてきたアデオに寄付することで、
回りまわって、利潤を期待する。(それが実行されるか否かは定かではないが。)

トムは、ここら辺のものの道理、社会の仕組みをよく理解している。
しかも、遠慮という言葉をあえて無視するので、
218冊もの本を強奪(この表現がまさにふさわしい)出来たわけである。


その後、トムは別の仕事のため外に出る。
僕はオフィスで、残った仕事を片付ける。

僕のオフィス出発の時間の3時には、オフィスにはあまり人はいなかった。
というか、3時を過ぎても空港に行く気配が無いので、若干あせる。
結局ばたばたとタクシーを調達し、空港へ。
このばたばた感も始終一貫していたなぁ。。


空港での搭乗手続きはスムーズに進み、
飛行機の発着も定刻どおりに終わる。
ちょっと拍子抜け(笑

2007年10月6日土曜日

"ODM!" "Machungwa!"

現在ケニアは、選挙戦真っ只中である。
候補者はたくさんいるものの、事実上の一騎打ち。

現大統領キバキ率いるPNUと、
キバキの元腹心(確か)のライラ率いるODMである。

PNUは、ナイロビに多いキクユ人を中心に、
ODMは西ケニアと、沿岸部、若者を中心に人気。

今日は、キバキとライラの政治イベントがあった。
キバキは、ナクルというリフトバレー近辺の中心都市で、
ライラは、ここ、ナイロビで行われた。

ナイロビタウン郊外の、ウフルパークは、ODMの支持者で一杯。
一杯も一杯。ものすごく一杯。

テレビでも中継されたわけだが、その様子は、
日本で言うところの、フジロックやらサマソニやらを、
もーっと強くした感じ。

政治のイベントというより、お祭り騒ぎである。
ものすごい熱気に包まれている。

で、アデオの人間は西部ケニアの人間が多く、
ODM支持者ばかり。

今日は、トムと一日中、飲み歩きをしていたのだが、
トムも、ODMグッズを購入して、道行く支持者と騒ぎ会う。

"ODM!"

"Machungwa!"

ODMは、Orange Democratic Movementの略。
んで、Machungwaはスワヒリ語でOranges。

みんなオレンジ色のTシャツや、帽子、ポスター、フラッグを持って騒いでいる。
その他の合言葉は、

"No more coruption"

前々から、政治の話になると、
「キバキとライラどっちが勝つと思う?」と人に聞いて回っていて、
以前は、「キバキじゃん?」という意見が多かったのだが、
ここまで周りにライラ派が多いと、案外ライラかつんじゃないのかなぁ、と思ってしまう。

ライラは、経済の自由化による外資流入、それに伴うケニアの経済発展を目指しているらしい。

この国の政治的関心(お祭り、というのもあるだろうが)の高さを見ると、
ちょっと明るい気持ちになってくる。
変えていこうとする意思、というかなんと言うか。

まあ、僕は、あまり詳しくないので、どちらかというと、ライラくらい。
どちらが勝つにせよ、政治を通して、ケニアがよりよい国になることを願っている。


余談だが、最近トムが、僕を良く「Atsu!」と間違えて呼ぶ。
トム曰く、Suzukiは、Atsuのようにスマートになったかららしい。
まー、ありがたいのかなぁ。
小栗さん的には良い迷惑だろう。


因みに、ドイツ人とシェアしていた部屋を引き払い、
自腹で、高いホテルに移動。
高いといっても、日本円で3000円くらい。
ケニアだと大金である。
部屋はめちゃくちゃ広く、シングルなのになぜかベッド二つ。
バスタブ付きで、久しぶりにゆっくりと入浴。

一時的に禁煙を解除して、一本吸ってみるものの、あんまおいしくない。
タバコってこんな不味かったんだと。
なんか普通に辞められそうな予感。


明日は、新しいJOCVの着任に伴う、「Karibu(welcome)パーティ」に、
なぜか参加させてもらうことに。
ありがとう、みっきー!
完全に部外者ですが。

2007年10月5日金曜日

仕事の終わり(多分)

今日は、本とIECマテリアルの発行に奔走。


リスペクトキャンペーンからいただいた寄付は、
ナンバレリソースセンターへの、本と、
IECマテリアルの設置に使わせていただきました。
リスペクトの皆様、後日ご報告に伺います。
(私信でした。)


その合間に、日本大使館を訪問。
厳重な警備をかいくぐり(?)、たどり着いた先は、別世界。
床のタイルを含め、白で統一された建物。
なんか、窓の先には日本庭園風の中庭が!

基本的に、ケニアで白を基調とした内装を行うのは危険である。
というのも、土が赤く、街中でも完全に舗装されているわけではないので、
靴に付いた赤い土が、白に目立ってしまうのである。

それをやってのける日本大使館、
すなわち、丁寧に掃除させるだけの給料を払える、ということである。

まあ、それは置いておいて、GGP(草の根無償援助)担当の塚田さんと、
なしむらえりこさん(ごめんなさい、字が分りません。。)とお会いする。

塚田さんは今週ずっと忙しいなか、わざわざ時間を合わせてくださったのだが、
僕が遅刻したせい(正確には、ADEOスタッフが)で、あまりお話できず。

その代わりに、なしむらさんと話し込む。
とてもフランクな上に、開発という現場での経験を感じさせるお姉さんで、
アドバイスやら、視点やら、色々なものをいただく。

彼女は、アデオのスタッフとも密に連絡を取ってくださっていて、
細かいスタッフに至るまで、結構ご存知だったりする。
さらに、アデオで短期間ボランティアしたい、
とまでおっしゃってくださった。

ナンバレのランニングにおいて、
彼女の力を借りる、というのはかなりアリなんじゃないかなぁ、と
個人的に思った。


さて、その後はトムと合流して、IECマテリアル作成へ。
一応、ドラフトを昨日提出するものの、ほとんど使われずー。

トムは、
「まあ、俺この現場で5年働いてるから。
 でも、お前のドラフトも参考になったぜ?」
などとフォローしてくれるものの。。

最近、当初のちゃらんぽらん適当おやじ、トムのイメージから、
やるときはやる男、トム、というイメージに変化しつつある。
素敵だ。
オフのトムは若干迷惑だけど(笑


多分今日で、仕事は終わり。
感慨深いかと思ったが、そうでもない。
多分コレは、帰国後の予定が詰まっていて、
感傷に浸るヒマが無いから。

まあでも、旅立ちのときは、また泣くんだろう。
涙もろいし。


土曜は、トムの家で、トムキッズに挨拶をして、
なぜか気に入られたトムの兄貴に、タスカーをおごってもらう予定。
トムの兄貴は、なぜか執拗に僕に、妹を娶るように迫る。
でも、ケニアでは結婚するときに、牛やら金やらを、
新婦の親族に払わないといけないので、ぶっちゃけ迷惑である。
さらに言えば、探すなら自分で探したい、探せる、ので
お気遣い無用なんですけど。。

日曜は、パッキングをして、お土産(といっても、酒とウガリ粉)を
しこたま買い込む。

ま、楽しんできます。

2007年10月4日木曜日

必死!

本当は、昨日の夜に夜を徹して作業をして、
朝には、トムにIECマテリアルのドラフトを出すツモリだったのだが。。

ユースホステルに泊まった結果、
ボランティアに来たドイツ人とルームシェアをする羽目になり、
机も無く、夜を徹して仕事など出来るわけも無く、
結局、なんのアウトプットも無いままオフィスへ。

しかも、午前中は履修申告をせねばならず、
それに時間をとられ、IECマテリアルは進まず。。

すると。。

トム「で、ドラフト、いつもってくんの?」

やべ、アフリカで初めて詰められた。。
しかもトムに。

第一印象はテキトーなおっさんだったのに、
仕事はかなりしっかりしている。

ぶっちゃけこういう張り合いのある環境で働きたかった。。
涙涙。

まあとりあえず、ドラフトは作り終えたが。。


こういうストレス下にいると、タバコを吸いたくなる。。
とはいえ、現在も禁煙継続中なので、頑張る。

でも、相部屋のドイツ人、スモーカーなんだよね。。
今日当たり一本貰ってしまいそうな気がする。。

2007年10月3日水曜日

トムとの仕事

IECマテリアルを作れ、と言われる。
(Information, Education and Communicationマテリアル。
 ビラとか、チラシとか、パンフとか。情報提供とかに使う。)
作らないで帰るのかなー、、などと思っていたがとんでもない。
仕事における責任区分は、明確なようで。

と言うことで、トムとディスカッションした結果、
ユース向けにセックスの初体験を遅らせるようなマテリアルを
作る、と言うことに。

コレって、要は性教育の教材を作れってことですよね・・?
しかも、後2日で。
しかも、英語で。

ハードタスクですよ・・?

基本方針としては、日本での活動を踏まえて、
安全でないセックスの危険性(ヘンな言葉だ)を
十分に認識させた上で、
ユース自らに選択してもらうような内容にしたいと考えている。

その上で、あまり押し付けがましくしたくないので、
所謂、性教育的情報は、必要最低限のものにしたい。。

あと、1週間強あれば、結構良いものが出来る気がするのだが。。

っていうか、常にトムとFace to Faceでコミュニケーションできる環境で働けていたら。。

まあ、たらればを並べてもしかたないので、ひたすらやるしかない。
なんか、ここに来て、また楽しくなって来た。

2007年10月2日火曜日

創業者という存在

また、ナイロビでの事務仕事に戻る。
事務仕事の方が気が楽。

ウェブの修正やらニュースレターやらを作成しつつ、
夜は、ウェソンガと彼の友人とのみに行く。
彼の友人もDrで、名前をDr.マルイという。
ケニア人である。

「コンニチハ、マルイデス」と挨拶をされる。
この挨拶だと、完全に日本人である。

さて、このDrマルイ、実はアデオの設立スタッフの一人らしい。
そういえば、彼の名前を前の研修生の日記で見たような。。
今は、彼はmerlinというUK系のNGOで働いているそうだ。
このNGO、ケニアで初めて会った日本人の、Drクモンと同じである。
もしかしたら同僚なのかも知れない。

日本に発つ前に、Drマルイと飯を食う約束
(多分達成されないが、是非ご一緒したい)をし、
ウェソンガとともに、ウェソンガ邸へ。

道中、ウェソンガとトーク。
先日、彼が、五年後にMember of Parliamentに立候補する、と言ってたので、
本気なのか、突っ込んで聞いてみると、本気だと。

んじゃ、ADEOはどーするんですかと聞くと、
「ウェソンガはADEOじゃねーよ」と。

確かにその通り。
しかし、気づかないうちに、創業者=会社的なイメージでいた上、
アデオといえばウェソンガ、というイメージがあったので、
ちょっと衝撃。

引継ぎもちゃんとやってるよ、と。
アデオジャパンもここら辺、ちゃんとやれると、
組織として盤石になってくるんだろうなぁと思う。

2007年10月1日月曜日

JICA訪問

ナイロビに戻ってくる。
ウェソンガとトムを連れて、JICAの調整員の千葉さんに会いに行く。
ここら辺は日本人、という強みが利くと実感。

さすがに編みこみの髪のまま訪問するわけには行かず、
髪は前日に解く。

目的としては、トムとウェソンガと千葉さんの顔合わせと、コネクション。

昨年、受け入れ要請の最終段階まで行っていたにもかかわらず、
結局振り出しに戻っており、
しかも、こないだ、受け入れ要請を締め切ったばかりで、
申請が通るには、一年以上かかるだろう、とのこと。

ああああ。。。

リソースセンター、不安が残ります。

2007年9月30日日曜日

ケニアの車窓から

ブシアからナイロビへ。
帰路の始まりである。

とはいえ、ケニア滞在の目的を果たし終えていないので、
気を緩めるわけには行かないのだが。

昨日のホテルスタッフとのフェアウェルパーティで気づいたのだが、
カメラが壊れかけている・・!
僕のじゃないのに。。

と言うことで、車窓からと言いつつ写真は撮れず。

しかも、道路の状況は概ね悪い。

ブシア→キスム→ナクル→ギルギル→ナイロビ
という感じで進むのだが、

道がまともなのは、ブシア→キスム間と、ギルギル→ナイロビ間のみ。
他はめちゃくちゃ道が悪く、時折横転の危機を感じる。
ゆれが激しいからかどうかは知らないが、
バスに乗っていると気絶するほどの眠気に襲われる。

ということで、頑張って景色を楽しもうとするものの、たまに気絶。

主に感じたことは、
・使われていない土地が多い
・組織化の香りがしない。
など。

2007年9月29日土曜日

青く、落ちてきそうなほど低い空の下で

ブシア最後の日である。
前日、クラブで象徴的な出来事があって、センチメンタル。
その上に、ものすごく眠い。

起きると、ホテルのオーナーが、
僕のためにホテルの金で、小さなフェアウェルパーティーを開いてくれる、と言ってくれた。

その後、予想通りマルセラがバスのブッキングに失敗したので、
自分でブッキングをしに行く傍ら、
ブシアのタウンを一通り歩いてみる。

外を歩き、2ヶ月見慣れた景色を見ているだけで、
涙があふれてきそうになる。

さらに、外を歩くと、必ずと言って良いほど知り合いに出会う。

いつも朝食を買うキオスクで、いつも去り際に、
「come again」と声をかけてくれるおっちゃんに、
「No」と答える。
行き着けのネットカフェの店員にさよなら。
FHIのムヨンガに、今度ブシアに来るときはJOCVでFHIで、と言う。
僕のペンを盗もうとした、Kehasoのアンソニーは、
収入が無いのに、僕に昼飯をおごってくれ、
肉屋のせがれのPEは、僕のCDを一緒に選んで、
僕をホテルまで送ったあと、今日の夜さよならを言いたい、と言ってくれた。


僕は、ここの人たちがすばらしい、なんていうつもりは全く無い。
自分勝手な連中は多いし、
モノは盗もうとするし、
仲良くなると次には金の無心。

正直うんざりすることも少なくないし、
分かれたくない、なんてことは全く無い。
もう二度と会いたくねーよ、というヤツも少ないがいる。

あと2週間を切ったあたりから、
さっさと帰りたい、という気持ちも無きにしも非ずだ。

それに、ここの連中は、誰も僕を放っておいてくれない。

時には僕からのお金を求めて、
時には何の見返りも求めずに、
常に、僕に声をかけてくれる。


別れの寂しさでも、人の温かさでもない。
ただ、理由も無く涙が流れてくる。
こんな涙は生きてて初めてだ。

僕は、この2ヶ月弱、
この赤道の下の、青く、落ちてきそうなほど低い空の下で、
どんな存在として生活し、
どんな存在として存在し、
どんな存在意義を残せたのだろうか?

僕は、またこの街に来たいと思っている。
また来るだろうか?
来られるだろうか?
来るとしたら何をしに来るのだろうか?

答えの出ない自問自答ばかりだけれど、
ひとまず、さようなら、ブシア。
僕は、この街が、人が、好きなようです。

2007年9月28日金曜日

モノに飢える人々 pt2/ インタビュー /禁断の果実・・

今日は、マンスリーミーティング。
ブシアでPEたちに会うのもこれが最後。

今日の僕のミッションとしては、つつがなく彼らにIECマテリアルを配って、
ちょっとしんみり挨拶して、お別れをすること。

・・と思っていたのだが!
しんみりもクソも無く、
怒涛のようにパンフレットやテキストや、ステッカーに群がるPEs!

「これ16個!」
「つか、これどこにサインすれば良いの?」
「・・・(勝手に取っていこうとする連中)」

並ぶとか、行儀良くとか、待つとか、
そういうカルチャーは無い。
自分の配給が割り当てられればそれで良いわけで、
僕のテンパり具合やら、ひっちゃかめっちゃか具合などお構いなしである。

やれやれ・・・


MTG後、今までなかなかつかまらなかったPEのハビーブを捕まえて、
インタビューを行う。
聞いた項目は、何でボランティアでPEやってるのか、
何がモチベーションなのか、
次に、どんなことをしたいか、など。

彼は、イスラームなわけだが、
そんな彼が、イスラームにはあまりいないであろうPEであり、
さらにアクティブなPEの一人なので、
彼にインタビューを試みたのだ。

普段はおちゃらけているハビーブだが、
インタビューはものすごくまじめで、
実りのあるものだった。

ビデオを撮ったのでいつか共有したいと思う。
(ウェブカメラだから音・画質悪いが。)



日本を去るときに、僕は髪を切らなかった。
お金を節約したい、時間が無いなど理由はあるものの、
隠された理由が一つ。

日本ではぜーーーったいにやらない、
プレート(編みこみ)をやってみよう、という。。

今までは、「似合わないし、まあ良いか。」で済ませていたのだが、
ウガンダで研修していた学生の日記を読んで、
プレートしました、という記事があり、
「剛(研修生の名前)がやってるなら、俺がやってもセーフだろ。。」
と思い、ついにプレートに手を出すことに。。。

で、やってしまった。
ブシアでは、日本人はタダでさえ目立つのに、
さらに、ダメーな意味で目立っている感じ。

僕を知っている人は、
「you look smart」などと言ってくれますが、
明らかに、お世辞としか思えずー。

今までは、ブシアに馴染むことがメインだったが、
残り2日になって、よそ者意識が芽生えたのか、
旅の恥は掻き捨て根性で、やってみました。
ヒジョーに後悔しています(笑

2007年9月27日木曜日

毎度のことながら。。

告知はいつも突然なわけで。
今日も、PEとの月例ミーティングがあったはずだったが、
明日に延期。
理由は、他のNGOやら行政の偉い人やらとのミーティングに、
ブルーノが参加しなければならないため。

これは、と思って、ブルーノに付いて行く。

道中、マルセラから電話。
「あんたどこ居るの?ナンバレ行くわよ?」
何でも、トムが来ているらしい。
こっちも、事前告知なし。
っていうか、昨日までトムとメールのやり取りしてたんですけど。
一言くらいメールの文面で知らせてくれてもいいだろうに。。

偉い人とのミーティングは、
ほとんど情報共有と、活動報告という感じで、
議題らしい議題は無く、
ぶっちゃけた話、ネットワーキングとキャッチアップが主眼と思われる。

以前ナンバレでお世話になった、CACCのおじさんに挨拶。

にしても、なんでミーティングをわざわざ高いホテルでやる必要があるのか。
このミーティング、お茶にお菓子に昼飯に、水(高級品)に、文房具一式まで付いてくる。
で、これだけの出資をして何かアウトプットがありそうかと言うと、
結構疑問。

昼食の時間に、残りの仕事を仕上げねばならなかったので、
オフィスへ引き上げる。


ちまたでは学校が始まったようで、
僕も履修やらなんやらしなければいけないわけだが、
僕はあと1週間強、ケニアでのべーっと暮らします。

因みに、タバコ辞められそう。
すごい。


夜は、トムと会計のアモスと、マルセラとブルーノで、
CACCという行政系のポジションのおじさんを接待。

酒の席で、トムに、
「you look mature! you look old! you are like Atsu!」と言われる
一番初めのは、ほめ言葉だとして、あとの二つはどうなんだろう。。
アツは、4年前の研修生なわけだが、
トムの中では、like Atsuは超ほめ言葉っぽい。。

トムと仕事の話を、少しする。
多分この人と一緒に働いていたら楽しいんだろうなあと。
小栗さんは楽しかったろうなぁと。


さて、接待ということなわけだが、
トムはブランデーを三本空け、酩酊状態、
CACCのおじさんは、実はアモスのいとこだということが判明、
僕もすきっ腹にだましだまし、ビールを飲むものの、
とりあえず腹が減って死にそう。
CACCのおじさん、マルセラ口説いてるし。。。

と言うことで、所謂日本的な「まぁまぁまぁまぁ」的接待はこれっぽっちも無く、
ひたすら飲んで、終了。

飲んでて思ったのだが、この人達はソーファニーである。

2007年9月26日水曜日

停電・・・

さて、オフィスワークをしようと思ったときに停電されると、
何も出来ないわけで。

さらに、タバコの禁断症状で、
マルセラに、「あんた、顔色悪いわよ」とまで言われる。

そこで、オフィスで寝る・・・
気づくと、4時。
まだ停電していたので、マルセラと帰る。

一日ってこんなに無駄に出来るのか、と
改めてびっくりした一日。

2007年9月25日火曜日

一人カスピ海レース

分る人にしか分らないネタ。
そして、分る人は多分この日記を見ていないだろうという。
(ググっても出てこない言葉です。)

さて、一人カスピ海レースに加えて、
摂食、禁煙を開始。
ラマダンだしね。

と言うことで、現在3つのabstainをしているのだが、
日中のいらいらは半端ではない。

以前、禁煙したとき授業中以外ずーっとタバコのことを考えている、
という始末だったのだが、今回も仕事の集中力が切れると、
タバコのこと以外考えられなくなる。

特に、夕方がつらい。
疲れてくる上に、空腹と禁煙のいらいらが重なるのだ。

ということで、昼間から、キスムのホテルでくすねた(ケニア流)、
爪楊枝をずーーーーっと噛んでいたのだが、結局挫折して、
一本吸う。

・・・・徐々に減らしていこう。。。

因みに、ニュースレターは、フリープレイラジオの部分は完成。
マルセラは、「マンスリーミーティングとかも付けなさいよ。」と言うが、
ミーティングをどうやって記事化すればいいのか・・?
PEの自主性に任せて、エンパワーメントしてます、みたいなことを書けば良いのか・・?

まあ、明日は一日ヒマなので、
ニュースレターの加筆修正でもしよう。

2007年9月24日月曜日

ブシア最後の週

ぶっちゃけた話、今月はなーーーんにも活動が無かった上、
参加できるはずの活動にも、ブルーノ君の怠慢っぷりにより、参加できなかったので、
ニュースレター(広報誌)もクソもねー!
と、個人的には思うのだが、
上司のトムが待っているので、ニュースレター作成開始。

記事は、とりあえずロケーションフリーのラジオの配布式と、
サッカートーナメント(丸写しの上、写真なし・・・)、
後は、ナイロビにて、ナンバレ向けのIECマテリアルを購入予定なので、
それについてでも、記事にしようかと。


少し早めだけれども、個人的にこの研修を振返ってみる。
この研修はADEO的には、「失敗」だと思う。

失敗だと思う要因として、
・当該組織、ADEOに対して利益をもたらしていない
・当初のジョブディスクリプションの半分も達成していない

まあ、下の要因はぶっちゃけて言えば、僕のせいではない。
FHIとかブルーノとかのせいである。
さらに言えば、IECマテリアルの開発に関しても、
実際のアウトリーチに参加できなかったので、
どんなマテリアルが不足しているのかが分らなかった。

リスニングしろ、という話もあるが、
PEsにリスニングしても、僕の範疇外の事柄(ラジオくれ、テレビくれ)しか
返ってこないから、リスニングはしなかった。

「失敗」だからかどうだか知らないけれど、一番偉い人であるウェソンガは
びっくりするぐらい僕の相手をしてくれない(笑)
まあ、忙しいのかもしれないけれど。


で、僕としてはこの研修、成功とは言えないまでも、
とても実りのあるものだったと感じている。

要因としては、
・かなりこちらの生活に馴染んだ
・日本に加え、「ケニア」という国で働いていける自信がついた。
・新スキル、「飛び込み渉外」を覚えた
・楽しい。あんま帰りたくなし。

こんなところ。
馴染みすぎたのか、最近日本と同じようにだらだらしていたのだが、
残り2週間切って、またよそ者意識が芽生えたのか、
日記もこまめに書き、その他の勉強(スワヒリ語なり論文読みなり)も、再開した。

正直、もっと長ければ、という気がする。
短期滞在ゆえに、わざと手を出さなかった分野もあったりする。
(他のNGOの訪問、一人夜遊びなど。)

この研修を成功足らしめるとするならば、
JICAとの連携を成功に持っていけたときだろうか。
とりあえず、トムかウェソンガに連絡して、
千葉さんとの面会の日程を決めなければ。

2007年9月23日日曜日

事故事故事故

環境の良いホテルで気持ちよく眠って、気持ちよく目覚める。
さらに、朝食も付いていたので、
レストランに行って、朝食をとる。

ブシアで泊まっているホテルとは比べ物にならない速さで、
朝食が出てきたことに感動しつつ、
さらに、紅茶とコーヒーを選べることに感動しつつ、完食。

ホテルを出ると、
「プーーーー!! ごしゃ。」という音が。
まーただよ。

バスと、ランドクルーザーが正面衝突。
大事には至らず、ランクルの運ちゃんとバスの運ちゃんが、
喧嘩を開始。
人々も駆け寄って、集まってくる。
不謹慎だが、もはやエンターテインメントの一つ、といった感じである。
中には、喧嘩を制する人たちも。
ここら辺で、制する人がいる当たり、日本とちょっと違うかな、と思う。

ホテルに泊まっていた白人観光客ご一行は不安げに、
この暴動の様子を見ていたが、
僕としては、慣れたもの。
実は、昨日のトゥクトゥク以外にも、行きのマタツ車内から事故現場を目撃したし。。

帰りは、マーケットに行ってお土産でも買おうかと思ったのだが、
購買意欲が起きず、断念。
前回の訪問のときは、1週間で10万くらい使っていた気がするのだが、
今回は、一ヶ月で10万も使っていない。
ケニアの相場を知ったのか、お土産を買う必要が無いくらい馴染んだのか。

明日はブシア最後の週の始まり。
心残りの無いようにしよう。

2007年9月22日土曜日

キスムへゴー

せっかく、ビクトリア湖の近くに住んでいるのだから、
一度は見たいと思っていた、レイク・ビクトリア。

本当は、入り江のキスムではなく、ポートビクトリアに行きたかったのだけれど、
バスの本数が少ないし、JICAの人がキスムに居るので、
面会がてら、キスムのレイク・ビクトリアの入り江を見に行くことに。

ブシアを朝7時に発って、同じく朝10時にキスムに到着。
降り立った場所が、すぐにマーケットにつながっているので、
マーケットをぷらぷらする。
湖畔の町だけあって、魚が多い。

そして、面会の時間には早い感じだったので、
地球の歩き方の地図を見ながら、放浪。

っていうか、キスムでかい!超都会!
ムズング(白人)超いっぱいいる!
インド人も中国人もいる!
すげーー!!!

キスムの都会っぷりにびっくりできる、ということは、
かなりブシアライフに慣れた、ということを意味していると思う。。
都会の空気に、少しびくびく。
母ちゃん、キスムは怖いところだでよ。

11時を回って、JICAの調整員の千葉さんに連絡をする。
30分後に再度連絡下さる、とのことだったが、40分たっても、
連絡が来る気配が無い。
千葉さん、アフリカンタイムになってますよ。

仕方ないので、ボダボダ(タクシーを使わないあたり、ブシア在住っぽい)を駆使して、
ドゥンガビーチへ。

ブシアではお金を使うところが無いので、
ここぞとばかりに、奮発してビクトリア湖周遊に出かける。
しかし、高い。。。

30分の交渉の結果、1000KSH値切ることに成功。

ツアーは、カバの居るポイントを回る、というもので、
正直、カバには感動しなかったが、
ビクトリア湖の上に居る、という事実にわくわくする。

ブシアに比べると、日差しが強く、正直倒れそうだったので、
帰りは、バイクで街まで戻る。

結局、千葉さんに会えたのは、3時半ころ。。

面会は有意義だったと思う。
報告はまた後ほど。
が、この面会を生かすには、ちゃんとナイロビのアデオに連絡をしなければ。

面会中に、ウェスタンケニアのJOCV数名が乱入してくる。
なんとその中に、三木さん(昨年の日本での活動仲間)が!
キスムの夜は、楽しくなりそうな予感を感じる。

その後、一泊1200KSH(ブシアの4倍!)もするホテルを予約。
ホテルは、蚊帳もしっかりしていて、清潔で、
シャワールームもものすごく綺麗。

夜は、JOCVの人達と中華を食べに行く。
その日は、ケニアに来ておそらく初めて、ウガリを食べなかった。

帰りは、トゥクトゥクという簡易タクシー見たいのに乗って、帰る。
途中、人が道路を渡ろうとしていたのだが、
その人が微妙にわたるのを躊躇している瞬間に、
僕の乗っていたトゥクトゥクが人を撥ねる!
「エエー!マージデー!?」という感じ。

テレビの映像とかで、人を撥ねる瞬間は見たことがあったが、
まさか、実際に見ることになるとは。。。
まあ、多分そんなにスピード出してなかったから大丈夫だと思うが。。

厄介ごとに巻き込まれると嫌なので、別のトゥクトゥクを拾って、
そそくさと逃げる。

キスムは、都会だった。
ブシアとの一番の違いは、お金を使うところがたくさんある、ということ。
その分、物価も高いし、QOLも高い。
例えば、ブシアでは冷たい水を頼んでもそんなに冷たくない。
が、キスムでは頭が痛くなるくらい冷たい水が出てきた。
さらに言えば、ブシアとは女の子のきれいさが全然違う。
まさに田舎娘と都会っ子という感じ。

貧困という概念は、比較から始まる、というが、
まさにそれである。
だから何?という感じだが、
とりあえず、それを実感した、という話まで。

2007年9月21日金曜日

最後のナンバレ(多分)

今日の午前中は、ようやく、ラジオの配布式が行われた。
いつも見慣れた、アクティブなPEたちに、ラジオを配布して、
それをネタに、人を集めて、ピアエデュケーションをさせよう、というもの。

まあ、ぶっちゃけた話、ラジオがピアエデュケーションに使われるとは到底思えないので、
正直、お金の無駄だと思う。
もしくは、ただのPEへのインセンティブ。
FHIは、正直お金の使い方が下手だなぁ、とたまに思う。

しかし、見慣れた面々がうれしそうにラジオを受け取っているのを見ると、
こっちもうれしくなるものである。

で、なんでこのラジオの配布式が遅れていたかというと、
他のNGOとの連携の問題。

ブシアのROADSプロジェクトは、FHIというNGOの主導の下、
ADEO、PATHの2つ(もしかしたらもっと)のNGOが実働を担う、という状況である。

FHIは、USAID経由でADEOにお金を渡す。
主に、全体の取り仕切り、決定権限を持っている。
ADEOはもろもろの実行に責任を持っている、いわば現場責任者、
PATHは、PEたちのトレーニングを主に担当している。

で、PATHの連中となぜかコミュニケーションがとれず、
ずーっと延期されていたわけである。

さらに言えば、今月は2つのトレーニングが予定されていたが、
それも行われていない。
これも、PATHとの連携の問題。

NGO同士の協働というと、聞こえはいいが、
実情は延期延期延期延期・・・である。


配布式終了後、急いでナンバレへ。
今日のマタツは、2年前の暴力乗り合いタクシーよろしく、
15人乗りに、30人近く。
狂ってます。

今日は、ナンバレタウンシップという最も近いエリアへ。
結構な数のPEが集まっていた。
ディスカッションの内容は、あんまり変化が無いので、正直飽きてきている。
そこで、今日は、フレイレ的意識化の実践みたいのを行ってみた。

PEたちは、あれが問題これが問題、と次々と要望を挙げていくわけだが、
どれか、彼らにとって一番の問題なのか、
それを解決する方法は無いのか、
等など、質問してみた。

結果としては、あまり上手くいかず。。
というのも、僕もPEも英語に問題があるため。
後何回かミーティングに参加すれば、なんか分る気がするんだけどなぁ。。
エンパワー、言うは安し、行うは難し。

その後、アイザックに勧められて、ロッククライミング。
ナンバレは、丘陵地帯という感じで、比較的なだらかなアップダウンが続いている
(自転車走行は大変。)
で、その平原の中に、ぽこぽこと岩が出ている。
岩の質から、噴火の跡地という感じ。

天辺までは、サトウキビをかじりながら10分足らずで着いたのだが、
そこからの眺めは、最高。
なだらかな中に、ぽっこり出ている岩なので、ものすごーーーーーく遠くまで見える。
ふと思ったが、観光っぽいこと、初めてしたような。。。

まあ、当初の目標として、仕事をしにケニアに行くわけで、
観光は後回し、と設定したので、、と言い訳をしてみる。


ナンバレの街に帰り、昨日と同じようにアイザックと分かれる。
「明日は・・・」と言いかけて気づく。
今日で最後だ。

アイザックと過ごした時間はそんなに長くないけれど、
僕は、誠実なアイザックがとても好きだ。

「Tutaonana tena(また会おう)」
とても不確かで、不誠実で、無責任な言葉だが、
そう言わずにはいられなかったし、
絶対にまた会いたいと思う。
不確かで不誠実で無責任だけれど。

そのまま、ホテルに帰宅。
僕のスワヒリ語ティーチャーの、ホテルスタッフたちとも、
ブシアにいるのは後一週間だ、という話をして、
ともに感傷に浸る。

正確には、感傷というより、後一週間後には
ここを離れるという現実に現実感が無い。
信じられない、という感じ。

明日は、絶対に見たいと思っていたビクトリア湖の観光がてら、
JICAの調整員の千葉さんとお会いしてくる予定。
一人ロングトリップ。
楽しみ。

残り少ないブシア、ここに来てようやく楽しみ方、動き方に確からしさを感じる。
いつだって、時間は足りない。

2007年9月20日木曜日

彼我の境界

「ケニアにきたら、一日一ドル以下生活を実践するぜ!」
などといきまいていたのだが、
ブシアは予想外に街だったので、全然そんなこと実践できずにいたのだが、
今日、ブハイヨイーストに向かう途中の食堂で、
20KSHのニャマシチュー(ビーフシチュー)とウガリを発見する。

ブシアの中級ホテルでは、ニャマとウガリは120KSH。
通常の飯屋で食べれば、80KSH~60KSH。
40KSHくらいまで来ると、結構安いなぁという感じ。

「やった!一日一ドル以下生活?」と思って、注文。

しかし、この物体、今までの人生で食べた肉の中で最もまずい。。
なにせ、ウンコのにおいがするのである。
肛門の肉なんじゃないかと思うくらい。
40KSHくらいまでは、おいしく食べられる肉が出てきていたので、
正直油断していた。。

しかもウガリ、黒ウガリだったのだが、この黒ウガリ、曲者で、
入念に準備がされていると、白ウガリよりも味わいがあり、おいしいのだが、
安いところで食べると、半端なくマヅイ代物なのである。
しかも、冷めていたし。

肉は2ピースだけだったので、なんとか我慢して食べるものの、
ウガリは完食できず。。


一日一ドル以下の生活を実践して、
「貧困ラインっつっても、生きられるぜ?」
などとのたまって、貧困を身近なものにしてしまおう、
とひそかに狙っていたのだが、正直ムリである。

正確に言えば、一日一ドル前後で生活することは可能といえば可能だと思うが、
僕にはムリである。

20KSHと40KSHには、見えないが確実にラインが存在している。

多分僕は20KSHの昼食のために、腹を壊すだろう。
非衛生的な環境の食事と、生水のため。

しかし、もし僕がずーっとこの食事と生水で生きてきていたら、
そして、僕がすこぶる健康だったら、
僕はこの環境下で生きていくことが出来ると思う。

しかし、一度病気になったら、この環境下で生きていけるのか?
一日食べるのでいっぱいいっぱいなお金を医療に費やせるのか?
さらにこの「医療」、医者へ払う金や薬のことではなく、
健康な状態でもきつい、暑く、長い道のりを、徒歩で、自転車で、
あるいはお金をボダボダやらマタツやらに払って、行くことが出来るのか?

僕の感想としては、答えは限りなくNOに近い。

貧困と言う状態、実際に経験したわけではない。
さらに、今日感じたものよりも、ひどい状態にいる人もいるだろう。

余談だが今日、蚊以外の虫に刺された模様。
右腕に鋭い痛みがある。
病院にいこうかと思ったが、
超混んでいるのでやめた。

日本だったら、
「大事をとって病院行っておくかー」
という思考になると思うが、
ブシアでは、
「混んでるし。。」
となる。
多分、大丈夫だと思うが、
もしこれが致死率の高い虫だったら?
貧困ならずとも、ブシアの医療には問題を感じる。

2007年9月19日水曜日

マタツ

今日は、最も遠いブハイヨノースへ。
疲れも昨日の比ではなく。
さすがのアイザックも、疲れ気味のため、
インポの危機を感じつつ、僕も結構な時間自転車をこぐ。

さて、このアイザック、もともとはアデオのPEである。
PEは、ボランティアスタッフみたいなもので、
Tシャツやら、何やらの配給がある以外、基本的に無給である。

現在は、アデオに雇われている。

彼は、誠実というかまじめと言うか、とても素敵である。
ブシアに来て思うのだが、スタッフ、PEともに、
僕が日本人、ということで何かとモノやら金やらをねだるヤツが
少なからず居る。

「ペンが無いから頂戴」とか。
が、アイザックは全くそういうことはしない。

自転車をこいで、のどが渇いているだろうと思って、
「水飲む?」とペットボトルを渡しても、
「いや、大丈夫」。

かといって、硬すぎるかと言えばそういうわけでもなく。
この人、個人的にマルセラとともに、心の安らぐ人の一人である。


さて、ブシアからナンバレは結構な距離があるので、
マタツ、というワゴンの簡易バスのようなものを利用している。

このマタツ、2年前にモンバサ(ケニアの観光地)で乗ったときには、
15人乗りなのに26人、はんぱない音量で耳が痛くなるほどの音楽、
開けっ放しのドア、などなど、

マタツ=暴力乗り合いタクシー

というイメージだったのだが、
今回のケニアでは、かなりおとなしいものになっている。
音楽はないし、人数も15人を超えることはあるものの、節度を守っている。

正直、僕は暴力乗り合いタクシーが結構好きだったので、残念。

2007年9月18日火曜日

自転車の日々その1

活動の位置をナンバレに移動。
アイザックとともに、ナンバレユースのミーティングに参加。

マルセラ曰く、「いかに移動が大変か思い知るといいわ!」。

ナンバレには、5つのエリアがある。
・ブハイヨノース
・ブハイヨイースト
・ブハイヨセントラル
・ワラチ
・タウンシップ

イメージ的には、東京都の
・葛飾区
・足立区
・江戸川区・・
みたいなものだろうか。

今日は、二番目に近いワラチのミーティングに参加。
僕は、ほとんど自転車の後ろに座っていたのだが、やたら疲れる。

12時、さんさんと照る太陽の下、出発。
半分は舗装された道路だったが、ものすごく急勾配。
半分はでこぼこの道。
これによって、ただ座っているだけで体力を奪われる。

(多分読んでる人はあんまいないと思うが)SFCの人は、
湘南台からSFCまでの道のりの距離を5倍にして、勾配を2倍にしたものに、
舗装されていないでこぼこ道を1時間付け足すと考えてもらえばよい。
自分で書いてて思うが、半端じゃないですよ?

ミーティングのたびに、アイザックはこの道のりを移動し、
ユースも、オフィスに来るたびにこの道のりを移動する、と考えると、
ぶっちゃけ仕事とかしている場合ではない。

さらに、ケニアの自転車は、サドルを調節することが出来ない上、
やたらとでかく、シートがプラスチックなのでものすごく硬い。

前に、アデオジャパンのメンバーが、
自転車のシートが凹んでいるのは、インポにならないためだ、と言っていたが、
ものの30分こいだだけで、インポの危機を感じる。

実際これを書いている今も、股の辺りが痛い。。


そんな感じで参加したミーティングだが、
ユースの期待は、果てしない。

俺達は貧乏だ、という合言葉の元、
やれ自転車もっとくれ、
いや自転車じゃなくて、バイクくれ、
むしろ仕事くれ・・・

僕は彼らとともに生活したことが無いから、
彼らがどれだけ貧乏で、どれだけ生活に困っているのかは知らない。

しかし、ここまで何かを要求されると、
「そもそも、自分達で解決、せめて改善する方法とか無いんですか?」
と思ってしまう。

と言うのも、ブシアをとりあえず移動してみて思うのだが、
色々組織化されていないものが多い気がする。
日本では、大体どんな産業でも、企業を中心に上手いこと組織化されていると思う。
うわ、めっちゃアバウト。多分ここら辺間違っているかもしれない。

とりあえずなんか、やろうと思えば、一つぐらい会社とか作れそうなのになぁ、と。
ふと、思ってしまうわけで。

2007年9月17日月曜日

・・・もう慣れたわ。

毎度のことながら、延期。
笑いさえこぼれてくる。

今日は、ROADSプロジェクトのプログラムマネージャーと、
PEたちのミーティングが予定されていたのだが、
キバキ大統領が、西ケニアに来ている、という理由で延期に。

西ケニアは、政治シーズンになると荒れるらしく、
ニュースでも、日本では絶対に放送されないであろう、
人が袋叩きにされて、流血しているシーンがしょっちゅう流れている。
因みに、ケニアの人々はこの袋叩きシーンでよく笑っているのである!
まあ、僕もスワヒリ語が分ったら笑っているかもしれないが。。。

午後は、JOCVの河原塚さんとお会いする。

河原塚さん作成の大豆料理のレシピを置かせていただけないかと
打診したところ、快く承諾してくださった。
お世話になりっぱなしである。

今度はお返しに、PCの修理を請け負うことに。
PC関連に(そこそこ)強いのは、かなり有利であることを再認識。

高校・浪人と勉強の代わりに、P2Pをやっていた行為は、
無駄じゃなかったんですね!

さて、延期に次ぐ延期で、ニュースレター(広報誌)に書くネタが無いため、
明日から週末まで、ナンバレに出張して、
ひたすら自転車をこいで、ミーティングに参加することに。

こういうことを書くと、不謹慎だがこれを機会に、痩せたい。

なぜ不謹慎か、という話は前にちょっと触れたけれど、
交通機関が無い故の、長時間自転車こぎは、
アデオナンバレでの活動の大きな障害の一つだからである。

まあでも、痩せたい。。
水の代わりにコーラの日々だし。。。

2007年9月16日日曜日

教会訪問その2

朝起きるものの、
昨日のセンチメンタリズムが抜けず、
てぃからが出ねー。

と思っていたが、一念発起して起床。
PEのリチャード牧師の教会に遊びに行く。

パキスタン人親子と行った教会と違って、
ばったんばったん人が倒れる、ということは無かったが、
悪魔付きなどを目にして、
この(失礼ながら)オーバーな状況は、
国民的なものなのかなぁ、などと感慨にふける。

ものすごく片言のスワヒリ語で自己紹介をし、一通りミサに加わる。

その後、リチャード牧師と、茶を飲みに街へ。
一通り、昨日の出来事を愚痴って、持ち直す。

センチメンタルになって、何もせずに終わることより、
短期間で何を残すかを考えるべきなわけで。


ところで、牧師がPEをやっている意味は、ブシアでは限りなくでかい。
ここの人たちは大抵キリスト教徒で、日曜には教会に行く。
今日の教会もそうだが、結構な数の人が集まっている。

そこの牧師といえば、その地域のコミュニティに対して、
少なからぬ影響力を有している、と言って良いだろう。
そこらへんは、リチャードさんも認識していて、
なおかつ、彼は、アクティブなPEの一人。
今後も彼には精力的に活動して行って欲しいものである。

2007年9月15日土曜日

ケニア初ギレ/センチメンタルな

今日は、サッカートーナメントによるアウトリーチが行われる。
ブルーノは、「午後から迎えに行くから」と言った。

午後、VCTのカウンセラーを連れて、アウトリーチ会場に行くと、
雨が降ってきて、アウトリーチは中止になった。

と思っていたが、どうやらサッカートーナメントは行われたらしい。


つまるところ、成り行きはこうである。
僕は、午後からサッカーが行われると思っていたわけだが、
実際には、午前中にサッカーが行われ、多くの人が動員された。
しかし、このサッカーの責任者はPEのため、
ブルーノは、面倒くさがってこのサッカートーナメントに行かず、
代わりに、僕を飲みに連れ出した。

んで、無益な飲みをしている最中に、
楽しみにしていたサッカーは行われ、
さらに午後のアウトリーチは雨により中止。


いい加減にしろと。
正直、中止、延期ならば笑って許せる。
他のNGOからお金を貰っている関係上、
連絡が付かなくて、延期という話は、まだ理解できる。

しかし、一個人の怠慢で活動に参加できないのはあまりに不愉快である。

ブルーノの言い分は、「ミーティング参加してたろ?」と。
1ヶ月程度の滞在で、スワヒリ語で行われるミーティングの内容が
把握できるものか。

大体、ミーティングの内容を把握したところで、
どうやって会場まで行けば良い?

しかも、サッカーに参加しなかった僕は、
PEからうそつき呼ばわり。
半分冗談交じりだったが、冗談としても笑えない。

久々に素ギレである。


その後、僕の機嫌を直すためかしらんが、
ブルーノとマルセラが、飲みに連れて行ってくれる。

その場で、突然僕のフェアウェルパーティの話になる。
うれしい反面、ものすごく複雑な感情になる。
まだ来たばっかりなのに、もうフェアウェル・・?

今日の負の感情を背負ったまま、帰りたくない、
パーティーなんかされずにそのまま消えてしまいたい、
などなど、様々な感情が去来。

自分のショートステイぶりを嫌というほど思い知った一日だった。

2007年9月14日金曜日

新しいファンド

現在、アデオでは、
新しく、UNAIDからファンドをゲットしようとしている。
プロジェクトの名前はAPHIA2と言い、
これも、HIV/AIDS関連に使われる予定である。

今日は、APHIA2の人が来る。
先日のナンバレと同様、視察+インタビューである。

今回は、マルセラとブルーノが対応する。
僕はといえば、余計なことは言わないように、と黙っていた。

マルセラとブルーノは、いかにブシアのプロジェクトが
上手く言っているかを解説するわけだが、
僕は、延期ばかりのブシアプロジェクトしか知らないので、
下手に口を開くと、「延期ばっかっすよ。」とか言いそうだったので。

MTGの後、路上でマンダジを食べる。
これは、砂糖の付いてないアゲパンみたいなもので、
小腹がすいたときの間食に最適。
朝食にもなる。

こっちの人は、朝食にチャパティという、
小麦粉を水で溶いて焼いた、無発酵パンを良く食べているが、
僕は、マンダジのほうが好き。

2007年9月13日木曜日

リソースセンターの持つ意味

肩書きは忘れたが、政府系機関の人が、
視察+インタビューに来るとかで、ナンバレオフィスに行く。

基本的に、マルセラが一人でしゃべり続ける。
この人は、ほんとに口八丁な感じである。

その後、ナンバレのリソースセンターに設置されるであろう、
書物(大半はNGOのアニュアルなど、パンフレット)の目録を作る。

その中で、思ったのだが、このリソースセンター、
ユースのためのHIV/AIDSの情報センター、と聞いていたが、
それ以上の意味を持っていることに気づく。

例えば、昨日会ったTumaini、彼女は栄養士で、
HIV陽性者に対して、いかにバランスの取れた食事を提供するか、
ということをしていて、陽性者に料理教室などのワークショップを開いているのだが、
リソースセンターに、料理本を置くことによって、
HIV陽性者の居る家族は、Nutritionに関する情報を得ることが出来る。

さらに、IGAという概念があるが、
例えば彼らがビジネスに失敗したとき、
ビジネス関連の情報が、リソースセンターにあったら?

さらにさらに、リソースセンターにはPCが置かれる予定だが、
PCのワークショップを定期的に開くことが出来たら?

詰まるところ、このリソースセンター、日本で言うところの
図書館的な意味合いを持たせることが可能なわけだ。

使い方によっては、地域の人々をものすごくエンパワーすることが出来る気がする。

あんまり、こういうことは言いたくないが、
このリソースセンターが出来てから、研修に来たかったなぁ、と思う。

2007年9月12日水曜日

ジャッキーの功罪/Tumaini

道を歩くと、言われる言葉達。
「チャイニーズ」2割
「チャン、チュン、チョン」1割
「ムズング」1割
「ジャッキー・チェン!」6割。

ケニアで最も有名な東洋人はジャッキーチェンのようだ。
土曜日の朝にKTNというチャンネルを付けると、
子供向けのアニメを放映している。
そのタイトルが、「ジャッキーチェンアドベンチャー」。
ジャッキーをモチーフにしたアニメである。

彼のおかげで、ケニア人の一部は、
東洋人はみんなマーシャルアーツの使い手だと思っているらしい。
マルセラ曰く、「ケニア人は東洋人を襲わない」。
ありがとう、ジャッキー。

しかし、想像してみてほしい。
「ジャッキー・チェン!」と呼ばれる面倒臭さを。
その他の呼びかけならば、単純に笑顔で答えればすむが、
ジャッキー・チェンと呼ばれたら、それなりのリアクションをしなければならないのは間違いない。

故に、最近はチャイニーズ、およびジャッキーチェンはほぼ無視である。
愛想悪い、と思われているんだろう。。


ケニアで最も有名な東洋人はジャッキーなわけだが、
ブシアで最も有名な日本人は、昔はオグリorアツ(3,4年前のADEOの研修生)だったのだが、
小栗さんの時代は終わり、現在はTumainiの時代である。

Tumainiとはスワヒリ語で、hope。
「のぞみ」さんなので、Tumaini。

以前から連絡を取ろうと試みて、ことごとく失敗していたのだが、ついに、面会に成功。

彼女は、JOCVとして半年間、FHIというNGOに配属されている。
後々、詳しく書こうと思うが、かなり有益な面会だった。

2007年9月11日火曜日

モノに飢える人々

オフィスの整理をしていると、
古新聞やら、明らかに使えないIECマテリアルが出てくる。
ので、それを捨てに行くわけだが、
そうすると、オフィスの周りの人々や、子ども達が、
ゴミ捨て場に集まってきて、物色を始める。

子どもたちはビンの王冠や、ペットボトルを持っていく。
これは、ハンドメイドのおもちゃになっていく。
大人たちは古新聞を欲しがる。
古い新聞をどうするのか、と思ったが、
「昔の情報が欲しい」そうだ。
よくよく考えれば毎日、新聞を買える人なんて少ないし、
印刷された活字媒体は、貴重なモノなんだろう。

さらに、別のCBO(Community Based Organization)で働いている人に、
リフィル型のペンを盗まれそうになる。
机の上にペンを置いておいたら、何食わぬ顔で、
胸のポケットに入れている。
返してと言うと、笑顔で、「借りただけだって。だって、ペン持ってるし!」と。

ペン持ってるなら、俺のを借りる必要ないだろ、と思うが、
同時に、オフィスのゴミ捨て場に集まる人を考えると、
(この言い方はよくないかもしれないが、)モノに飢えている、という印象を受ける。
一度製品として作られた「モノ」。
食べ物とかは、結構作りすぎてあまらせたりするのに、
こういった、製品に関しては、ものすごーく物持ちが良い気がする。

実際、僕もそういったモノを使って、オフィスの小物を作ったりしているわけだけれど。

因みに、先日マルセラに、「もったいない」という概念を教える。
ワンガリマータイも居るし、ケニアでは有名なのかと思っていたが、全然そんなことは無い。

とりあえず、もったいない=Reduce Reuse Recycle の精神だ、と教えたが、合ってるんだろうか・・

2007年9月10日月曜日

コミュニケーションプロブレム

こっちに着て、一番の問題は、コミュニケーション。
とりあえず、ネットは調子が良いときと悪いときの差が激しく、
一日中、10年前の日本くらいのスピード(こっちでは速い)で、
快適に使えることもあれば、
停電やら何やらで、一日中使えないときもある。

電話という手段もあるわけだが、言語的問題か、
「後で、メールしといて。」
と言われることが大半。

ということで、溜まったメールをひたすら送る。
メールの後も、オフィスワークを繰り広げ、気づくと5時(帰宅時間)。
こんな一日が早く流れたのは、久しぶりだったので、驚く。

因みに、こっちのワークタイムは8時~17時。
でも、アデオブシアの二人は、
8時~8時30分の間に出社し、4時30分くらいには、
「もう閉める時間じゃん!」などと言って、
帰る支度を始めるので、実質働く時間は7時間。
昼休みは、13時~14時。
怠惰、というツモリは無いが、ルーズである。

2007年9月9日日曜日

トラックドライバー/ニャマチョマ

買い物に行こうと思って、ぷらぷらしていると、
「アリガトウ!」と声をかけられる。

こっちに来てから、「チャイニーズ!」とか「ジャッキーチェン!」とか
「ムズング(肌の黒くない人)!」とかしか言われないので、
うれしくなって、声の主に話しかける。

彼は、ソマリ族のトラックドライバーで、ブシアの人ではないらしい。
確かに、ブシアに多いルヤ人とは外見が違っている。
僕達のプログラムのターゲット、トラックドライバーということで、話し込む。ピアエデュケーション魂がうずく。

で、越境待ちの間、彼、ムスタファ君のトラックに乗せてもらう。
彼は、30人兄弟の28人目(!)で、以前日本人の女性に物乞いをして、
その日本人女性が毎月500ドルを送金してくれたおかげで、
学校に行くことが出来たが、数年後彼女が亡くなったため、
学校を辞めて、トラックドライバーをはじめた、とのこと。
500ドルっていえば、ケニアでは大金である。
僕は、ブシアで中級のホテルに泊まっているが、
一泊の値段は250KSH。約400円。
大衆食堂で、一食食べると、100KSH
大金具合が分ってもらえたであろうか?

トラックの中は、かなり広く、快適。
運転席の後部には、ベッドも配備されている。
このトラックに乗って、数日間夜昼無く運転してたら
そりゃセックスワーカーの一人や二人買いたくなるよなぁ、と思う。
トラックドライバーは結構良い給料貰ってるようだし。

で、彼に「コンドーム使ってる?」と。
答えはあいまい。
彼曰く、彼はセックスより葉っぱの方が好きらしい。
ただ、トラックドライバー間のHIV流行に関しては、
それなりに問題として認識していているようだった。
何人かの仕事仲間も、HIVでなくなっているらしい。

その後は、同僚たちとニャマチョマを食べに。
ニャマ=肉、チョマ=焼
つまるところ、焼肉である。
炭火で焼いたものを、塩とカチュンバリというトマトとタマネギのサラダと一緒に食べる。
普通は串に刺さっていて、イメージ的には焼き鳥の肉が、いろんな肉に変わったもの。
今回は、ヤギ肉だったのだが、牛肉バージョンや、鶏肉バージョンがある。
ヤギ<牛<鳥 の順で高くなる。
一番安いとはいえ、ものすごーく美味い。
ビールが自然と進む。
先日の反省を活かし、食事をしながら飲んだので、3本飲んでも元気。
ただし、肉の硬さは日本の比ではないので、
食べるのに時間がかかり、少量でおなか一杯に。

毎日ニャマチョマを食べていれば、やせそうな感じがするが、
多分ビールも付いてくるからそんなこと無いんだろうなぁ。。

2007年9月8日土曜日

お金の使い道

若干名の方から、心配されていますが、
至って元気です。
時々、ケニアに居る、という実感がなくなります。



朝、僕の携帯が(着信音で、なんとなく作曲してみた、)君が代を奏でる。
トム「あと30分後に、ヴィラっていうホテルまで来て。」

今起きたとこだっつーの。
しかも、基本的に時間にルーズなくせに、
人を呼ぶ際には、結構タイト。

「みんな待ってるから、早く!」

到着すると、新しいフィールドコーディネーターが!
事前に言って下さいよ、そうすれば適当な格好で来なかったのに。
名前は忘れてしまったが、Jから始まる名前。ジョナサンとかそれ系。

トムが、
「NGOの世界へようこそ。
 NGOは、ダイナミズムに溢れた、コミュニティとのやり取りや、
 いろんな価値観の中で働く楽しみがある、エキサイティングな職場だ。」
という旨の歓迎の辞を述べる。

・・・キャラ違いだ。。
ちょっと感動してしまった。

その後、トムと仕事に関してディスカッション。
結局、日本から持ってきたお金は、
ナンバレのVCTセンターに併設される、
リソースセンターの本や、PCソフトなどに使うことに。

この話に関しては、後日、詳しく書きたいと思います。


とりあえず、上司と対面して話すと、
仕事が面白いほど進む。
これから研修に行く方は、上司が身近に居る場所をオススメします。

あと、来ケニア当初は、全く聞き取れなかったトムの英語が分るようになっていて、
ケニアンイングリッシュになれたんだなぁ、と実感。

2007年9月7日金曜日

告知はいつも突然に/生産効率・デジタルディバイド

ブルーノ「今日のラジオ配布式、中止だから。」
僕「・・・」

マルセラ「オサマ!今日、新しいフィールドコーディネーターが来るわよ!」
僕「!?」

式典やアウトリーチなどイベントが突然中止になるのには慣れているが、
まさか、僕らの上司が来ることまで当日告知とは。。
恐れ入るぜ、ケニア。
因みに、マルセラはたまに僕を間違えてかわざとか、オサマと呼ぶ。


さて、僕はといえば、紙製の組み立て式コンドームケースを作ろうと思って、
型紙をスキャンしに行ったのだが、スキャンしてもらったファイルが、
ウィルスに感染していたため、そのまま削除してしまい、使えず。。

ここ数年、途上国とデジタルディバイド、みたいなことをちょこっとかじっているのだが、
論文では見えない、デジタルディバイドが存在している気がする。

例えば、PCへのアクセスは、ネットカフェもあり、
貧しい人たちも、頻繁とは行かないまでも、
たまーには、PCにアクセスすることが出来る。

しかし、回線は遅い。
日本で、10の情報が集められるときに、ブシアでは、1かそれ以下しか集められない。

そして、ウイルス。
正直、想像以上に、PCウィルスが猛威を振るっている。
ウィルスはアフリカで生産されてるんじゃないか、と思うくらい。
最新版のウィルスバスターでもつかまらないヤツが、よくいる。

で、このウィルス、どんなことをするかというと、

・MSオフィスで、ページ設定が開けなくなる
・フォルダを開くと、勝手にコピーを作る
・フォルダオプションが開けなくなる
・タスクマネージャが開けなくなる
・新しいソフト(プリンタのドライバなど)がインストールできない
・レジストリエディットを開こうとすると、強制終了
・現ケニア大統領のキバキの写真を表示して、「次の選挙もキバキに一票」。

などなど、多種多様。
っていうか、最後のヤツは、今年の12月に大統領選挙があるのだが、
ネタがタイムリー過ぎる。。

で、こういったウィルスのおかげで、
色々、活動制限されるのである。
これも、デジタルディバイドの一種であると思う。

さらに、これらのウィルスと、停電、ネットの不調などが重なって、
生産効率がはなはだしく悪い。
例えば、集中して書類を作ってるときに、突然、
「キバキに一票」
とか出てきたら、集中力は途切れる。

さらに、ウィルスを駆除するためには、
アンチウィルスソフトを最新版にしなければならず、
ネットに接続する必要が出てくる。

で、ネットに繋ごうとすると、停電やらネット不調で、つながらず。
代わりに、ウィンドウズを再インストールする羽目になる。

ネットさえあれば、僕ならすぐに解決できるであろう問題でも、
正直、「もーあしたでいいやー。。。」となってしまう。
問題は、根深い。

さらに言えば、ブシアは比較的発展しているので、
友達が行っていた、ウガンダのモヨなどはもっとイケてない状態なんだろうと思う。

OLPCという、100ドルラップトップを子どもに配布して、
教育に使おう、というNGOがあるが、
彼らは、ウィルスの猛威にどう対抗するんだろう。
まあ、OSはたしかUNIXベースだったから、ウィンドウズよりはマシなんだろうけど。。

2007年9月6日木曜日

第一種接近遭遇/違う文化の同じ世代

IEC(Information, Education, and communication)マテリアルの開発補佐と、
それらの配布、在庫リスト作り、ということで、
オフィス内整理を開始。

途中、ヤツの痕跡を見つける。
・・・発見。デカイ。。
ケニア初のゴキブリは、僕の親指の長さくらいある巨大なもの。
棚にあった大量のフンから判断するに、相当長くこのオフィスの棚に、住んでいた模様。
戦闘開始。
30分かかってようやく捕獲。
昔友達が、「ゴキブリは油虫と呼ばれるだけあってよく燃える」
といっていたので、ためしに火をつけてみるも、あまり燃えず。
つぶす。


その後整理は続き、色々、使われていなかったIECマテリアルが出てくる。

ビラであったり、VCT行きを奨励するスタンプラリーカードであったり(動いているのか不明)。

そもそも、「IEC開発補佐」って言っても開発している人がいない上に、
配布、在庫リストが必要ないIECマテリアル多数。
この仕事の意味とは・・・
とかうじうじ考えているうちに、
整理して、陳列したコンドームがかなり減っていることに気づく。
しかも、ケースがちゃんと付いてるヤツ。

今日は、ミーティングでPEが数名来ていたのだが、
普段は、ミーティングがあっても、コンドームが減るなんてことはない。
正直この点については、少々疑問を持っていたところ。

問題点は、こうだ。
政府が現行で配っているコンドームは、パッケージがぺらぺらの紙で出来ていて、
しかも、切り抜きをして組み立てないと使えない。

しかし、昔の型紙で作られたケース付きのコンドームは、
ディスプレイをちゃんとすれば、ニーズがある。

つまり、使いやすいコンドームケースがあれば、
彼らはコンドームを携帯し、使うのであろう、ということ。

これって、日本の状況と似ている。
去年、僕達はwAdsというキャンペーンの中で、
オリジナルのコンドームケースを作ったりしていた。

日本では、財布に入れられることが多いコンドームだが、
財布に入れると、摩擦でコンドームが劣化してしまい、
破れる可能性が高くなる。
かといって、コンドームケースという概念があるかというと、微妙。
日本では、この問題意識の元で作られたコンドームケースだが、
ケニアでも、形を変えて同じ問題が転がっていた。

型紙の簡易ケースでもあれば、状況はかなり変わってくると思うのだが。
IECマテリアル、ということでちょっと作ってみようと思う。

2007年9月5日水曜日

"tommorow morning" means "NEVER"

ピアエデュケーションのための、
手巻き+太陽電池式ラジオの配布式が、
今日の朝、行われる予定だった。

若干慣れてきたこととはいえ、また延期。
今回は、パートナーNGOである、PATHの事情により。
PATHは、PEたちのトレーニングを主に行っているのだが、
今回、ラジオをどのようにピアエデュケーションに用いるかの
トレーニングが追いつかず、ということらしい。

「アウシュビッツは終わらない」という、収容所の告発録に、
「抹殺収容所のスラングで、"決して"は"明日の朝"という」
という記述があったが、ブシアでもこの法則は結構当てはまる。
問題ですよ・・?

当初は、きつきつだった予定表も、
延期や、中止ばかり。

改めて、ジョブディスクリプションを読み直し、
自分の仕事を再確認。

1.Attend outreach activities with peer education focal person and field officer
2.Attend puppeteers' outreaches and meetings
3.Conduct data collection of peer educators reporting forms
4.Assist in developing IEC materials and develop their inventory and distribution list
5.Prepare puppeteers outreach and prepare meeting reports to be submitted to the peer education focal person
6.Prepare monthly newsletters in partnership with peer education focal person, to later on form the quarterly newsletter

とりあえず、今出来ることは5のみ。
6に関しては、常に情報収集を怠らないこと。

後は、その他のアレンジメントを待つばかり。
流され人生、ここに極まる。

2007年9月4日火曜日

血のようなものを吐く。

JOCV派遣要請関連で、JICAの千葉さんに連絡。
カカメガへのHIV要員要請の件で。

昨年、カカメガへのJOCV要員派遣の話は、
最終段階まで進んでいる、とのことだったが、
一年放置された結果、結局振り出しに戻っていることが判明。
そもそも、調整員が、武藤さんから千葉さんに代わっているし。

今後のタスクとしては、Dr.ウェソンガと連絡して、
事実関係の確認をすること。
確認事項としては、
昨年の、JOCV派遣要請の件は、どうなっているのか、
アデオとして、カカメガのHIVに資金を割く余裕があるのか、
の2点。

正直、厳しそうだなぁ、というのが所感。
ごめんよ、稲垣。

その後、ブシアタウンでのプロジェクトで主に活動している、
ブルーノと、飲みに行く。
これが、ミスの始まり。

ケニアでは、自分のビールを頼む際に、追加で同席している人の分を頼む習慣がある。
ブルーノ→酒飲み
僕→酒は好きだがとことん弱い

僕は昼飯抜きのすきっ腹に、計1.5リットルのビールを飲む羽目に。
結果として、吐くものが無かったのか、酒とともに血というか、毛細血管というかを吐く。
胃とか、食道とかが痛い。。

結局ブルーノは5リットル飲み、その後彼の家で夕食。
しかし、胃と食道の痛い僕は、大して喰えず。。。
そのまま、ブルーノ邸に泊めてもらい、結局風邪を引く羽目に。

2007年9月3日月曜日

停滞中。。

今日も今日とてニュースレター。
本当は、PEのトレーニングがあるはずだったのに、
FHI(プロジェクトの元締め)との兼ね合いで、延期。

ここに来てから、予定通りに物事が進んだのは、
初めの一週間だけ。
おかしいだろ!

ということで、本来の仕事であるニュースレターのネタもあまり集まらず。。

仕方が無いので、自分で始めたプロジェクトに関して、
方々に、メール、電話をする。

ニュースレターはとりあえず8月分完成。
めでたし。

2007年9月2日日曜日

日曜日。

PEであるリチャード牧師の教会に遊びに行く、
予定だったが、結局場所が分らず、帰宅。。。

前日の焦燥感に加え、
突然、前に好きだった人のことを思い出し、ウツに。

不貞寝。

2007年9月1日土曜日

9月突入。

土曜日。

ニュースレター(広報誌みたいの)のドラフトを作る。
作成が遅れている理由は、活動が延期されまくったため。
まともに行われた活動は、ピアの再教育のみ。

FHI(ブシアプロジェクトの元締めみたいな)で働いているJOCVの人に
連絡を取ろうとするものの、なぜか着信拒否状態。
あったことも、話したことも無い人にここまで拒否られる経験は人生初。

9月に入ったこともあわせ、突然の焦燥感と、人間不信に駆られ、ウツに。

論文読んで、不貞寝。

2007年8月31日金曜日

中間報告(アデジャパ向け)

残り1ヶ月。

中間報告は、アデオジャパンメンバー以外の人には、
かなり不親切です。申し訳ない。
まあ、読み流してください。
もし読んでいて、わかんねーよ、とかもっと知りたい!とか、
そういう奇特な方がいらっしゃいましたら、
是非、コメントでもメールでも下さい。
特に、アデジャパメンバー。
読んで、コメント下さい。


【中間報告】

アウトプット、ウェブのみ。
http://www.adeojapan.org/
このページのactivities in Africa.


さて、僕は事前に目標を立てる、という行為をしなかった。
というのも、僕は事前目標なんてものは信じていないからである。

実際に自分で経験していないこと、
自分で業務に関わっていないことの目標を
はたして、どうやって立てられるのか。

そんな状況で立てた目標は、
低すぎるか高すぎるかのどちらかであることが多い。

入念に事前準備して目標を立てれば良い?
状況のわからないものに関して、事前準備をしても、
的外れになることが多い。
事前準備なんて、目標を見つけるのを早める効果があるだけで、
目標を立てるには、不十分である。

という言い訳をしたところで、
そろそろ状況や、問題おぼろげに見えてきたので、
目標を立てようと思う。


【情報関連】
・monthly news letter
  →もともとのタスク。
・団体紹介、web改定
  →現行の団体紹介、活動紹介の中には、終わってしまっているものもある。
   一応、スタッフページみたいのを作れ、と言われているので、それも追加。
   
【ナンバレGGP・リソースセンター】
・問題点、懸念点の洗い出し
  →先人の努力を水泡に帰させないため。
・日本との情報共有・計画立案
  →ブシアで出来ることは限られているので、
   主にアデジャパとの連絡が中心になるかと。
・自転車プロジェクト
  →とりあえず、今週中には出資するか否かの決定。
  
【カカメガ】
・JOCVから、HIV/AIDS要員招聘
  →JOCV的に、現在西ケニアをHIVで固めようとしているらしいので、
   その流れに乗って、稲垣を送り込む。

以上。

2007年8月30日木曜日

実り多き日。

午前中は、Peer Educator monthly meeting。
相変わらず、大半がスワヒリ語。
今日のアジェンダは、アウトリーチの担当場所決めと、
HIV/AIDSに関する質疑応答と、
アウトリーチの会計について。

その後、すぐにナンバレに発つ。
ナンバレでは、10名のユース(youth。15-45歳!因みに日本では、15-25。)が、
わざわざ僕を待ってくれていた。

ナンバレでのMTGのアジェンダは、
日本政府の援助で新しく出来た、リソースセンター(HIVに関する資料室みたいな)と、
自転車プロジェクトに関する、意見交換。


リソースセンターは、ユースがそこに集まることで、
HIV/AIDSに関する情報にアクセスしやすくする、というもの。
リソースセンターの建物と、そこに設置されるPCは、
日本政府の草の根無償援助というファンドで建てられる。
しかし、肝心のコンテンツは、アデオで準備しなければならず、
アデオジャパン的に、その経営が心配なのである。

また、自転車プロジェクトって何だよ、という話をここで。
ナンバレは、前も言ったがものすごーーく、田舎。
さらに、活動しているユースたちは、ボランティアの上、
仕事が無かったりする。
そのため、ただでさえ交通の便が悪いのに、
限られた交通手段である、マタツ(乗り合いタクシー)すら使えない状況である。
故に、彼らの活動をサポートするために、アデオジャパンはTシャツを日本で売って、
その収益を自転車という形で、サポートしているのである。
確かAMREFという団体も出資していたはず。

で、その上記二つについて、意見交換。

結果は以下のような感じ。

【VCTについて】
・PCはユースが、HIV/AIDSの情報を引き出すために使うらしい。
・PEの数名が、PCの基本使用のレクチャーを受けている。
・ユースを呼ぶ仕掛けとしては、卓球台とかビリヤード台とかあると良い。
・PEをカウンセラーとして養成して、雇って欲しい。
・VCT待ちの人が時間をつぶせるように、パンフレットとかバナーが欲しい。
・そもそもVCTだけだと、来られない人がいるから、
 VCTに自転車置いて、モバイルVCTをやりたい。
・VCT増設の周知のために、もっとサッカートーナメントとかのアウトリーチがしたい。
・他の町(カカメガとか)とサッカーとかで交流して、意見交換したい。
・予防だけじゃなくて、陽性者のケア(nutrition,food,medicine)に拡大したい。
・リソースセンター側とユースのコミュニケーションがちゃんとできるか心配。

【自転車PJT】
・っていうか自転車足りない。
・お金が無いので、メンテできない。
 そのため、16台中4台壊れている。
・メンテのために、グループでインカムジェネレーションやりたい。

基本的に、彼らの要望はかなりドリーミーだった。
以前、ウガンダに行った友達が、(確か)HIV陽性者の母親に、
「あんたの国は道にお金が落ちているんでしょ!?
 この子を日本に連れて行って育ててあげて!」
 といわれた、といっていたが、
それと同様に、多分彼らは僕のことを、金が有り余っている国から来た、
救世主とでも思っていたのだろう。

今まで1ヶ月、ブシアで生活してきて、
ちょこちょこ、この人貧困なんだろうなぁ、と思うことはあったが、
本にあったような、
所謂発展途上国で、みんな仕事が無くて、
服もところどころ擦り切れていて、
外国人を見ると、援助をねだる、という状況に出会ったことはなかった。
しかし、今日は、本にあったようなアフリカの状況があった。

多分、見ようとすればいくらでもこんな状況は見られるのだろう。
ただ、日常生活している分には肌で感じることは無い。
貧困は隠れて、となりに存在しているのだ。

ナンバレから帰ると、PEの一人から、電話。
「今アウトリーチやってるから、速攻来て。」
いくいく!行っちゃう!

国境近くのタクシー駐車場で、
数名の顔見知りのPEが、寸劇をやっていた。
結構な数の人が集まっており、かなりテンションが上がる。

その後、他団体の人や健康省(ministry of health)の人が、
抗HIV薬の正しい使い方について、話す。
抗HIV薬は、毎日決まった時間に飲まないと、
HIVは薬に耐性を持ってしまい、
処置がどんどん厄介になっていくのである。

アウトリーチは、1時間ほどで終了したが、
その間、都合200名以上の人が、寸劇を見たり、話を聞いたりしていた。
ここら辺は、日本の活動としてもかなり見習うところがあるなぁ、と実感。
写真は、アウトリーチの様子。

その後、マルセラ邸でケニア料理の作り方を教わる。
黒ウガリを食べる。黒、美味い。

一日の締めくくりとして、正直あんま会いたくなかった、
ハダヤット親子と、ピーター牧師に会う。
この人達苦手なんだよなぁ。。。

「明日はcrusadeだよ。オサムのために延期したから。」
つか、僕、異教徒ですよ?
むしろ、クルセイドされる対象では・・?
誰か、この連中から逃げるすべを教えてください・・

これだから、(一見)悪意の無い、過剰な親切は嫌だ。。

2007年8月28日火曜日

貴賎

さて、今日も今日とて仕事後は、サイバーカフェ。
メンバーからのメール、
複数の友人とのメッセ。

励ましや、プレッシャーや、アドバイス、仕事依頼、
いろんなモノを貰った。
もともと凹んでいたわけではないが、元気になる。
ありがとうございました。


そして、今日も今日とて仕事後は、パキスタン人と、
そのパートナーの牧師さんと孤児院訪問に行く。

ここで、パキスタン人二人の紹介。

Prof.ハダヤット。
パキスタンでビジネスをやっている。社長と思われる。
いろーんな学位を持っていて、
話すことが無くなると、大抵その自慢話になる(笑
医者、牧師、エンジニアetc etc...
間違いなく、悪い人ではない。

アシャー君。
ハダヤットの息子。
22歳。パキスタンにてIT関連の大学を卒業済み。
韓国でキリスト教学校に行っていたらしい。
育ちのよさを感じさせる、立ち振る舞い。
良い意味でも、悪い意味でも、おぼっちゃま。
口癖は、「We are the one, we are the same.」

二人とも、敬虔なキリスト教徒である。

彼ら、多分超金持ちである。
彼らのプロジェクトの予算総額は、2億円超。
ケニアにてプロジェクトのために広大な土地を購入済み。
牧師さんは、有力者へのコネをたくさん持っているらしい。

なんでも、今度彼らは、ケニア大統領に会うらしい。
アシャー:「ブラザーオサムも、一緒に行こうよ」
・・・マジで?


さて、こういうハイソな人たちとつるんでいて思ったのは、
僕は完全な貴族にはなれないなぁ、ということ。

僕は、完全に部外者であるが、彼らにかなり優遇されている。
宗教的救済心、ハダヤット一族の特権、Mzungu(白人)である僕・・
理由はたくさんあると思うが、
どれも、貴族的要素によって、僕は優遇されている。
僕は、これに少なからず居心地の悪さを感じている。

彼らと付き合うとき、僕は貴族の仮面をかぶる。
襟付きの服を着、背筋を伸ばし、礼節に気をつける。
ものすごく疲れる。

牧師さんも、ハダヤット親子も、
「私達は兄弟だ」とか言ってるけど、
仮に、僕が偶然尋ねていったら、こんな優遇してくれただろうか?
さらに言えば、僕がMzunguで無かったら?

猜疑心は募る。

本当に、彼らには裏が無いのか?
日本人から甘い汁が吸えると思っているのでは?
僕がキリスト精神を理解できていないから、こう感じるのか?

また、彼らの上段に立った視点で、本当に貧困層の救済が出来るのか?
金があっても、ニーズが汲み取れないんじゃないのか?
今日だって、孤児院訪問っつったって、子どもと絡んでない。
牧師さんとその奥さんと、僕ら3人で雑談して飯食っただけだ。
彼らは何を見たのか?

2007年8月27日月曜日

pesa,money,金

ケニアに来てから大した日記が書けてないなぁ、と思う。
ちょこちょことした気付きとか納得、感動はあるのだが、
カルチャーショック!!的なものには出会わない。
基本的に普通である。
生水も飲んだが腹も壊れない。
食事制限をしないと明らかに太る。
蚊はマラリア蚊しか見たこと無いが、
こいつらは移動速度が遅いので、素手で簡単にしとめられるし、
刺されたときのかゆみも、日本の蚊の方が強烈。

明らかに貧困下だろ、という友人も居るが、
なんだか、生活の一部という感じで、鈍感になっている。

2回目だから、というのもあるのかもしれないけれど、
これが大人になるということなのだろうか。だとしたらやだな。


延期されていたサッカートーナメントによるアウトリーチが中止になる。
原因は、予算が削られたため。
その結果、デモ行進によるアウトリーチに変更。
また、昼食も出る予定だったが、ソーダのみに変更。
イベントは結構楽しみだったので、残念。

さらに、多分、昼食はPEたちのインセンティブ要素なので、
これを削り続けると、結構危うい感じがする。

結局、活動はお金に左右される。
お金が全てなんていうつもりは毛頭ない。
お金を持っていても使い道を知らない人はたくさん居るとおもう。
かといって、お金が無くても万事上手くいくかというと、結局そんなことは無いわけで。

他のアデオジャパンのメンバーが、
日本にはお金(ファンド)が結構あるから、
それをレイズして、こっちにつぎ込めばいろんなことが出来る、
といっていたが、まさにそんな状況。

さらに言えば、こういう予定変更は、日常茶飯事らしい。
ブルーノ曰く、「This is the field」。
現場の人間による、「ファッキンオフィス組!」みたいなのはどこにでもあるようだ。。
まあ、そこまで過激なことは言ってないけど。

仕事が無い、と言っていたけれど、
問題は結構山積みである。
要は、僕がその問題を解決できるだけの手段を持っていないため、
問題を仕事に変換することが出来ていないだけ。

徐々に問題を仕事に変えていこうと思う。
問題解決は、得意分野だから。

2007年8月26日日曜日

キリスト者とビジネス。

パキスタン人の3人と、ビジネス話。

Dr.マクブールの他は、Prof.ハダヤットとその息子のアシャー。
彼ら親子は、敬虔なキリスト者であると同時に、
自国でスポーツグッズを中心としたビジネスをやっているらしい。
んで、ケニアでもスポーツ施設やら、スポーツグッズ店を展開して、
ケニアの富裕層で儲けた金を、貧困層に流す、というプロジェクトをやろうとしている。

なぜか、彼らはやたらと僕を彼らのプロジェクトに引き込みたがっている。
主に考えられる理由は、僕が日本人だからだろう。
市場としての日本、供給地としての日本は、今だ健在の模様である。

正直、ちょっとうっとおしいなぁと感じないことも無いが、
彼らは、僕を孤児院めぐりに連れて行ってくれようとしたり、
いろんな人を紹介してくれたり、飯おごってくれたり、
(キリスト教的な)兄弟として扱ってくれていて、
すごく良い人たちなので、
とりあえずは、この中途半端な関係をキープすることを決定。

ともすれば、アデオにもプロフィットがあるかもしれない。

というのも、昨日は本当はサッカーイベントによる
アウトリーチが行われる予定だったが、予算の都合で、延期されたのだ。

彼らのメインビジネスはスポーツ。
ちょっと期待してしまう。
まあ、明日ブルーノ、マルセラに相談しなければなんともいえないが。


ところで、なんでサッカーとHIVが関係あるかというと、
ブシアは、とりあえずエンターテイメントが無い。
また、サッカーが結構盛ん。

故に、参加型のサッカートーナメントをやることで、
観客、選手ともにそこそこ人が集まるわけである。
そこで、集まった人に、HIV関連の冊子、コンドームを渡して、
情報提供を行う、というものである。

2007年8月25日土曜日

神、先祖、来世、現世・・

パキスタン人の伝道師、Dr.マクブールに話しかけられる。
下手に乗って、宗教論議をする。
なぜか気に入られてしまい、彼の部屋に行って聖書を頂く。。

彼の部屋には、その他二人がいて、
彼らは、ケニアでビジネスをしつつその収益を、
学校建設やら、職業訓練所やらに回そうとしている人達。
宗教的情熱ってヤツだろうか。

さらに、彼らに付いて、教会に行く。

教会では、初め、ドラムとエレクトーンの生演奏によるゴスペルが。
みんな踊ってるし、スピリチュアル。

次に、説法。
神は永遠!神はあなたの隣に!信じれば箱舟に乗れます!
という旨のことを、牧師がセンセーショナルに説く。
僕は仏教の説法しか聞いたことが無いが、
それと比較すると、ものすごく感情的な印象。

その後、祈りの時間に。
人々はもはや泣き叫んだり、
感極まって、失神したりしている。

で、そんな環境の中でどうすることも出来ず、とりあえず思案。
結果、僕と一神教を信じる人たちの間の違いに気づく。

僕は、仏教(のようなもの)を結構信じている。
常に先祖は、僕の周りに居て僕を守ってくれていると思うし、
その感謝として、ちょくちょく仏壇の前で頭を下げるし、
彼岸の墓参りにも意識的に行く。
ついでに言えば、輪廻も信じている。

で、僕は先祖に何を願うか、といえば、
現世での安寧、平穏、成功などなど。
多分皆さんも、神社やらお寺の前で、
「第一志望に受かりますように」
とかやったはずである。

んで、一神教の人たちは、神を信じる。
そして、教義的には、彼らは、
来世での安寧、平穏を願うわけだ。

では、神とは何か、という話について。
マルセラ並びに、イスラム教の教授の説を引用すると、
「God is source」、「ビッグバンの向こう側に居る存在」。

イスラム教の教授によると、科学ではビッグバンまでさかのぼることが出来たが、
それ以前にはさかのぼることは出来ない。
それでは、ビッグバンの原因は何かというと、それが神だそうだ。
マルセラの言説もこれとほぼ同義であろう。


なんか、まとまりが無いが、
僕は、「無形」、「ただ存在するもの」、「源」としての神という概念を理解し、
結構受け入れられるようになった。
しかしそれと同時に、先祖の存在、現世利益についても信じている。
この節操の無さは、日本人ゆえなのだろうか・・?

2007年8月24日金曜日

となりの貧困

ナンバレ再訪。
ナンバレは、ものすごく田舎。
見た目的にも、状況的にも沖縄あたりの離島と似ている気がする。

例えば、ナンバレにすんでいる人は、医者へのアクセスが極めて悪い。
通常は、ヘルスセンターに行くことになるが、これは簡易処置と緊急処置が中心。
しかも、医療従事者に対して、患者の数が多い。
本格的に医者に見てもらうには、マタツ(乗り合いタクシー)に乗って、
三十分程度移動する必要がある上、
たどり着いたブシアの病院も混んでいる。

それに、多分医療費を十分に払うことは出来ないだろう。

なぜこんなことがいえるかというと、
ナンバレのADEOオフィスのスタッフの給料について知ったため。
ナンバレのオフィスには二人のスタッフが居るが、
確か、サラリーは無い。

さらに、月収換算すると、一人は、5000KSH、もう一人は、3000KSH。
約、7500円と4500円である。

経済学では、一日1ドル以下の生活をしている人のことを貧困と定義することが多いが、
その状況すれすれである。
というか、家族構成等を加味すれば、貧困そのものである可能性すらある。

豪奢に見えたナイロビのオフィスとは一転、
清貧NGOの姿がここにある。
もしかすると、給料をもらえているだけ他の人よりマシなのかもしれない。

半数の人が貧困下で暮らしているケニア。
みんな、一見普通に暮らしている。
ただ、もし病気になったら、怪我をしたら、災害が起きたら、
そんなアクシデントに極めて弱い状況、
それが、貧困というものなのかも知れない。

2007年8月21日火曜日

ふらつき禁止令

【業務報告】
Steering Committee Meeting(3h)

【雑記】
マルセラが、Dr.ウェソンガと、僕の動向について話したらしい。
その結果、PEとふらつくことが禁止された。
PEが、僕を毒すだろう、という見解の元で。
彼女曰く、「誰もが友達、ってわけじゃないのよ?」
しかし、僕はむしろトムに毒された気がするのだが。。

まあ、それはおいといて、
確かに、PEの何人かはゴロツキのように見えるし、
注意するに越したことは無いと思う。
以前の研修生もPEにカメラを盗まれたらしいし、
仲良くなると、大抵次には金の無心が来る。


しかしこの禁止令は結構イタイ気がする。
PEにほいほい付いていって、仲良くなることで、
ブシアの様子とか、PEの活動状況とか、彼らの生活とか、
色々学ぼうと思っていたのだが。。
結局僕も、海外に行ってちやほやされて、危ない目にあう
日本人の女の子と大差なかった、ということか。

また、
NGOとPE、結構一緒にいるし、仲もよさそうに見えるが、
心底信頼し合っているわけではない、という、
なんとも微妙な溝、というかパワーバランスを感じた一日だった。

これからは、日本人であることを活かして、
在ケニア邦人からの情報収集などを中心に、
活動の幅を広げていく方向にシフトしていこうと思う。

2007年8月20日月曜日

2週間経過。

驚くほど仕事が無い。

【雑記】
「仕事無いよ?」と日本で言われていたものの、ここまでとは・・
ここ2、3日間の廃人っぷりとあわせて、そろそろヤバイ感じがする。

PEとふらつく。

アウトリーチ、と言ってもその種類は多様であることを改めて実感。
例えば、国境近辺で越境関連の書類作りをしているアンソニーは、
トラックドライバーの待機所みたいなところで、
ドライバーに対して、アウトリーチ(HIV/AIDSの情報提供みたいな)を行っている。

また、道端で偶然見かけたのだが、
あるおばちゃんは、物を売りながら、アウトリーチを行っていた。
イメージ的には、寅さんみたいな感じ。

アンソニーとも話していたのだが、アウトリーチを行う際に、
いろんな人に興味を持ってもらうためには、
まず、彼らをひきつけるようなことが重要である。

例えば、日本で僕達は、クラブイベントをやって、
その中で、アウトリーチをしたりしていたわけだが、
改めてその意味合い、その理由が分った気がする。

その中で、彼はトラックドライバーの待機所(入管からは離れている)を、
入管の近くに持っていって、テレビや飲み物などを置いて、
トラックドライバーだけではなく、旅行者や一般の人など、
もっと多様な人が来るようにしたいといっていた。


とりあえず、広報誌の下地作りでもはじめよう。。

2007年8月19日日曜日

廃人生活その2

前日に続き、一日中廃人。
悪いことに何もしてない。

2007年8月18日土曜日

廃人生活

昼ごろから、カカメガというところに行く。
ここで、アデオは水の供給プロジェクトを行っており、
そこを視察しに行く予定だった。

が、予定通りにことを進ませないのが、オフのトム。

初めについた場所は、トムの実家。
純度100%のチャンガ、というブシア地方伝統の酒を飲む。
飲む。飲む。寝る。勧められる。飲む。。
同時に喫煙。
このころから、半分くらい意識が無い。

カカメガでは結局雨のため、視察は出来ず、
ムミアというカカメガとブシアの中間地点で飲むことに。

結局のところ今日一日、飲むか吸うか寝るかしかしてない。。
廃人。


とりあえず、トムの実家は日本人がイメージする、
「所謂アフリカ」に近かった感じがする。

広い土地の中に、一族の家が何個かあり、
その隣には、自給自足のための農園が広がっている。
男達は、昼から飲んだり話したりして、
女達は、彼らのために、昼ごはんを作る。
同席はしない。

この場に、マルセラもいたのだが、
彼らは、男達とともに談笑していた。
新旧の女性像が混在している不思議な空間だった。

2007年8月17日金曜日

暴露→感染

感染した。
軽症ですが、若干不愉快な感じです。
パソコンの話ですが。

フラッシュメモリを借りた時点で、暴露は覚悟していたのですが、
まさか最新版のウィルスバスターでも対応できないものが潜んでいるとは
思わず。。

ナイロビから、道楽、放蕩の人、トムがやってくる。

その後、ブシアから車で30分くらいのナンバレ、という地区に行く。
ここには、アデオのフィールドオフィスがあり、
それに関連した、Health Centre を見に行った。
が、あまり記憶に残らず。。。

すぐにブシアに戻って、4時ごろから飲み始める。
ここら辺、トムが居るからこそ、という感じである。
その後、場所を3回移して、4時まで飲み続ける。
今気づいたけど、12時間飲んでますね。

因みに、クラブにも行きました。
一日中、いろんな意味で楽しかったが、
結局今日一日、なんだったんだろう。。

2007年8月16日木曜日

ブシア慣れ

【業務報告】
Peer Educators Refresher Training(5h)

【明日のToDo】
Peer Educators Refresher Training(5h)

【雑記】
早くも、日記を書き忘れそうになる。
ブシア生活になじみつつある証拠。
しかし、体はやたら睡眠を欲しているので、
精神的にはまだ慣れきっていないのだろう。


いまさらながら、ピアエデュケーターって何だ、という話を。
ピアとは、対等・同質な関係の人々のことを指す。
この日記を読んでいる人の中には、僕とつるんで、
喫茶店でだらだらしたり、遊んだりしたことがある人がいると思う。
そんなあなた方と、僕は「ピア」な関係である。

人は、みんな何かしらのコミュニティに所属している。
そのコミュニティの中に、HIV/AIDSについて正しい知識を持った人を作ることで、
その人を中心に、回りに正しい知識を広めていこう、というもの。
ここ、ブシアではそのコミュニティは、ボダボダ協会であったり、
教会であったり、モスクであったり・・・


今日で、リフレッシャートレーニングは終了。
今日の内容は、ジェンダーに関するロールプレイが大半で、
午前中のみで終了する。

昨日立てた目標通り、
数名のPE、中でも若い人(Youth。15-25歳)の番号をゲット。
後日遊びに行く約束を取り付ける。

僕のブシア生活において、同年代のPEと仲良くなることは、
とりあえず2つの意味を持っていると思う。
1つ、遊び仲間が出来る。
2つ、アデオのブシアでの活動をよりよく理解できる。

つまるところ、彼らと仲良くなることで、
一時的にではあるが、僕も彼らのピアになれるわけで。
そんなこんなで、今日は案外実りがあった日だと思う。

明日は、ナイロビから出張してきたトムとのMTGと、オフィスワーク。
夜は、ラッパーのモージスと遊びに行く予定。

それでは。

2007年8月15日水曜日

現状肯定

【業務報告】
Peer Educators Refresher Training(9h)

【明日のToDo】
Peer Educators Refresher Training(9h)

【雑記】
「夜は暇だよ」と言われていたものの、
各種勉強や日記、洗濯などで案外時間を取られる。
日本でのインターン中にやってた、
セルフマネジメントスキルの使いどころ。

辞書を引き引きだが、スワヒリ語の文章は大体分るようになって来た。
リスニングも平行してやっていく。

トレーニングでは、HIV/AIDSのことばかりではなく、
ジェンダーやリスク、リーダーシップなどなど、様々なテーマが持たれる。
前回も言ったが、それらは教授されるのではなく、
ディスカッションやロールプレイをしながら、
知識をシェアしていくことによって行われている。

以前、研究会の先生から、
「エンパワーって何も言っていないのと同義だ」
と言う指摘を受けた。

確かに、エンパワーを
「個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、
組織的・社会的構造に外郭的な影響を与えるようになること。」
と定義すると、エンパワーされた人が成功するのは当たり前である。
エンパワーされた人は自分の思うように社会を変えていけるわけだから。

僕は、明確にはいえないが、エンパワーを
「自ら考える力、成長への意志」というようなイメージで捉えている。

その定義からすると、このトレーニングに参加している人たちは、
自ら考え、発言し、成長する意志を持っていると思う。

彼らが自分のコミュニティに帰っていくことによって、
そのコミュニティが少しずつ変わっていくであろう事が、容易に想像できる。

活動しながら、こういうのが見られるのはすごく素敵なことだと思う。


以前ケニアに来たときは、自分に対しても、ケニアに対しても
やったらセンチメンタルな印象ばかり受けていた。

例えば、路上にたくさんのポイ捨てゴミのある町並みを見て、
例えば、大統領になりたい、と言っているナイロビ大の学生と話して、
英語をしゃべれない自分に対して。

その時は一人で海外に行く経験が初めてだったので、
やたら違うものばかり目について、感傷的になって、
結構イタイ日記を書いたのを覚えている。

他方、今回は現状肯定的な見方をしているような気がする。
自分だけポイ捨てをやめてみたり、
ビジネスをはじめようとしているピアと、プランを話してみたり、
英語もスワヒリ語もろくすっぽ話せないけれど、
しつこく食い下がってみたり。

多分、2年前の僕ならば、今頃ホテルの自室に篭って、不貞寝しているだろう。
よくもまあ、ここまでポジ男になれたものだ。
志田とかがこの日記を見たら笑うんだろうなぁ、と思う。

明日はトレーニング最終日。
次の1週間は今のところ予定が無いので、
明日、がっつりピアの連絡先やらなんやらを聞き出して、
遊んだり、話したり、スワヒリ語を習ったりしようと思う。

2007年8月14日火曜日

絶対やせない。

もう九日!

【業務報告】
Peer Educators Refresher Training(9h)

【明日のToDo】
Peer Educators Refresher Training(9h)

【雑記】
昨日ログを取っていた、ブルーノが今日は別の仕事で居なかったので、
代わりにログを取る。仕事に貴賎の差は無いとは言え・・・
とりあえずはスワヒリ語。必死。

ナイロビはそうでもないが、ブシアは物価が安い。
ナイロビでは、50ksh(75円)の300MLコカコーラが、25ksh。
因みに、水は500MLで40ksh。
当然水代わりにコーラである。

しかもケニアに来てから、大体誰かの家にお邪魔して、夕飯をいただく。
しかも大抵、僕には多い量の食事を出してくれるので、
腹11分くらい食べる。
「ケニアに行ったらやせるぜー!」とか思っていたけど、
絶対にやせない。

今日も今日とてトレーニングに、ブシアスタッフのマルセラの家に行く。
マルセラは、常に笑顔でおちゃめな3児の母。
やはり大量のウガリと、トマト味のスクランブルエッグとキャベツの煮物が出てくる。
とりあえず、こっちの野菜は上手い。キャベツ、超甘い。

食事を待っている間、マルセラに
何でアデオで働いてるのか、と聞いたところ、
「私の子どもとコミュニティと、未来のためだ」
と言われる。

日本でNGOで働いている、と答えると、
どこかドリーミーで、非現実的なイメージを持たれる感じがする。
しかし、ここでは、NGOの仕事は現実に直結した、重要な問題なのである。
こと、HIVに関して、四年前のデータになるが、
ブシアのHIV感染率は33%。
今はこの値よりは下がっているらしい。
というか、感染率が下がったということは、
多くのHIV感染者が亡くなった、ということに等しい。

マルセラの言葉が非常に重みを持って感じられる。

僕は日本で活動しているとき、
口では「自分の問題だから」と言っていたが、
そんな言葉を吐くのが恥ずかしいくらい。

日本に帰ったら、もっと現場に出たい。
もっと現状を知りたい。

当然その前に、ケニア、特にブシアの状況を知り、
何かしらのアウトプットを出すこと。
それを活かして、日本でも活動していきたい。

2007年8月13日月曜日

ピア再教育トレーニング

【業務報告】
Peer Educators Refresher Training(9h)

【明日のToDo】
Peer Educators Refresher Training(9h)

【雑記】
業務というか、業務ではない。
トレーニングの半分は、スワヒリ語で行われる。
ところどころ分る単語もあるものの、概ねわからない。
ログすら取れず、仕方ないので、
スワヒリ語の単語を拾って単語帳を作りつつ、
紙の準備などの事務仕事を行う。
完全にビジター状態。


ボダボダと言う、自転車乗り(リキシャの弱い版みたいな感じ)や、
両替商、トラック運転手などを対象とした、ピアエデュケーターの再トレーニングに参加。

彼らは、移動範囲が広い上に、接する人間も多く、
彼らに、HIV/AIDSの正しい知識を持ってもらうことで、
より多くの人たちに対して、予防啓発を行う、というのが目的。
こういうところで、社会学的な視点の面白さみたいなものを感じる。

トレーニングの形式は、一方的な教授なのかと思っていたが、
グルワ、対話が中心。発言もなかなかに積極的に行われる。
多分、こういう教授方法、行為が、エンパワーメントというのだ、と思う。
パウロ・フレイレ的なにおいを感じる。

ここで、再トレーニングを受けているピアエデュケーターたちの中には、
アデオジャパンのメンバーに会ったことのある人たちも居て、話が弾む。
彼らに混じって、スワヒリ語を学ぶ。
とりあえず、買い物とボダボダに乗るための会話は出来るようになった。

このトレーニングは1週間続くので、しばらくビジター状態なんだろうか。
明日はブシアで面倒を見てくれている、マルセラにちょっと掛け合ってみる。

2007年8月12日日曜日

ブシアへ

今日は、ブシアへ移動する日。
トムが同行し、現地でMTGを行う予定。

だったが、当日の朝になって、トムは来ないことが判明。
やっぱり・・・

一人で、AKAMBAバスという長距離バスに乗る。
しかし、チケットの行き先がなぜか、ウガンダの首都であるカンパラ。
お金、払いすぎてますけど?

そこに、バスの責任者現る。

僕「カンパラって書いてあるけど、ブシアで降りるから。」
責「ふざけんな。チケットはカンパラだろうが。」
僕「でも、途中で降りるだけじゃん?」
責「でももへったくれもねえ!」
・・・10分経過。

結局、ブシアで降りられることになったが、
客の言うことよりチケットを優先するって・・・

バスの移動は、途中でタイヤがパンクして、
交換のために、30分程度停止した以外は普通。
約10時間で、ブシアに到着。
現在、ステイ先のホテルで日記を書いている。

色々、ありえないことが起こった2日間だったが、
僕としては、かなり楽しんでいる。

明日からはいよいよ本格的に研修開始。
2ヶ月をめいっぱい使って、活動してこようと思う。

2007年8月11日土曜日

死ぬかと思った。

前半は正直どうでも良いことなので、
読み飛ばしてもらっても差し支えないかと思います。

今日は休日。
ぶっちゃけ、結構やることやってしまったのでヒマ。
なので、午前中はスワヒリ語を勉強。
午後からは、ケニアで働いている医者の久門さんに会いに行く。

西洋風のいけてるカフェで、小一時間話す。
とてもフランクで話しやすい人だった。
ケニアでどんな活動をしているのか、
どんなところで何が動いているのかなどを聞く。

その後、久門さんと別れ、教えてもらったトイマーケットに行く。
イメージ的には、スークとフリーマーケットを足して、雑にした感じ。
服もあれば電化製品もあるし、なんでもそろいそうなイメージ。
また、バービー人形が裸体で並んでいたり、
日本のアニメのパチモングッズがおいてあったりと、
なかなかシュール。
多分、一日かけて回れば結構掘り出し物もありそうな感じ。

2着服を買って、トムに電話して迎えに来てもらう。
ここからが、地獄の始まり。

トム「30分で行くから!」
2時間経過。
しかも、パーキングの札をなくしたため、
1000ksh(1500円くらい。大金。)の罰金発生。

トム「今金無いんだけど。後で見つけたら戻ってくるから払って。」
仕方なく払う。
払った後に、この金はもう戻ってこないと確信。

その後トムの車に乗り込む。
罰金とトムの荒い運転で、気持ち悪くなる。
トムの家に帰ったらすぐ寝ようと思っていたのだが、
気づくとアデオのスタッフであるジョセフの家にいる。
・・あれ?

しかも、ジョセフの親戚の誕生日とかで、
すっげー人が集まっている。
その輪の中で、食べ物を勧められる。

気持ち悪かったので、食欲は全く無かったのだが、
勧められたものは断れないプラス、もったいない根性で、
気合で食べる。
死ぬかと思ったその1。

その後、帰ると思いきや、バーというかクラブというかに連れて行かれる。
トム「タスカーっていう薬をあげるよ。」
それビールじゃん。
トム「すぐ帰るから。」




ここでは、トムの故郷であるブシアの人が溜まっていて、
親戚、近所一同が集まっている。

ケニアに来てから聞く音楽は、打ち込みばっかりで、
正直辟易していたのだが、
ここでは、生音っぽい音楽が流れている。

4つ打ちのキック、ヌけたスネア、
親指ピアノを模したであろう、高音のギターの音を聞いているうちに、
気分がよくなってきて、タスカーを一気飲み。
トムと踊る。

数時間経過しても、一向に帰る気配が無い上に、トム泥酔。
お兄さん、立ったまま寝てますよ?
結局閉店まで、バーに滞在。

その後、泥酔状態のトムの運転で帰る羽目に。
・・・マジで?

明らかにまっすぐ走れてないのに、やたらスピードを出すトム。
途中、事故った車を数台目にする。

1台目
マタツ(乗り合いタクシー)に突っ込んだ普通車。
ボンネット大破。

2台目
中央分離帯が結構あるにも関わらずなぜか正面衝突している車。
フロントガラス大破。

3台目
道路わきの溝に突っ込んで、ひっくり返っている車。

明らかに、未来の僕達の姿である。

結局、何度か僕がハンドルをいじって、家に着く。
深夜2時。
死ぬかと思ったその2。



トムのような人を道楽者、もしくは放蕩というと確信。
オフィスでのトムは、おしゃれで、仕事もしっかりしている。

しかし、オフのトムはヤバイ。
飲酒運転と、常に爆音のカーステレオ。
家には、乗用車のほかに、なぜか使われていないBMWが停まっている。
部屋には、日本でもあんまり見かけない5.1chのソニーのスピーカー。
家にはメイドさん。
当然、奥さんも美人。
しかし、バーではナンパ。

前の研修生が、ヤクザみたいだといっていたが、
彼の行動パターンや外見からは、確かにギャングっぽい香りがする。
日本で言われる、「NGO職員」とは思えない。

日本で、NGOで活動するというとどうしても清貧のイメージがある気がする。
例えば、トムのように豪奢な生活をしている人が、
貧しい人を救う仕事をしている、という状況に、
違和感を感じる人は、少なくないと思う。

しかし、NGO職員=清貧とすることに何か意味があるのだろうか。
僕には、ただ単にセンチメンタリズムを煽るだけで、
NGOという仕事のハードルを上げているに過ぎないと思える。

誰もが、マザーテレサやガンジーのようになれるわけではない。
しかし、NGOの仕事はたくさんある。
ならば、ハードルを上げずにより多くの人に、
この種の仕事を行ってもらうほうが、より多くの人を救えるのではないだろうか。

つまるところ、NGOで働くことは、通常の会社や官庁で働くことなど、
通常の労働と並列に扱われるべきであるように感じる。
この側面において、ADEOというNGOは日本に比べ先進的であると思う。

16.5million Kenyan live in poverty

【業務報告】
ウェブ更新(2h)

【明日のToDo】

【雑記】
16.5million Kenyan live in poverty

車中からちらりと見えた、広告。
多分、政治関連の広告だと思う。

ケニアの人口は、3500万人らしい。
国民の半数近くが貧困にさらされている。

これがどういう状況なのか、という判断は僕には出来かねる。
日本にだって、貧困下にある人は居るわけだし。

さらに言えば、貧困下にある人が存在することで、
経済は回ってしまっているわけで。
例えば日本の話、宅急便で荷物を送って、
それが翌日に届くのは、深夜に仕分けをしているフリーターの存在があるのだ。

ケニアも多分、様々な経済システムが貧困とともに成り立っているのだろう。

ただ、僕にはその数字はあまりにも大きいように見える。


ウェブの更新が結構早く終わってしまい、
やることが無かったので、一人で買い物に行く。
deet50%という、米軍御用達の虫除けを買う。
コレを付けたまま、プラスティックを握ると、
プラスティックが溶けるという危険な代物。

それでも時間が余ったので、スワヒリ語の勉強をする。

夜は、今回のインターンでの直属の上司に当たるトムの家に滞在。
2人の男の子がいたので、鶴を折ってあげる。
掴みはOK。すっげー懐かれる。

食事中、トムの兄弟に、「俺の妹を持っていけ。タダで良い」と言われる。
ケニアでは、結婚する際に、新郎が新婦の父親にお金を払う習慣があるらしい。

今は、子ども部屋で、4歳のTheoに邪魔されながら日記を書いている。
彼は今、僕のスケジュール帳に車の絵を描いている。

明日は、JICAのおねーさんと会う予定。
楽しみ☆

2007年8月10日金曜日

「エイズに気をつけて」

【業務報告】
ウェブ更新(5h)

【本日の振返り】
今日も今日とて、ウェブ更新。
なんでこんなに難航しているかというと、
次々とタスクが振ってくるから。

僕「出来ました!」
Dr「じゃあ、次○○を追加してー」
・・・

こんな調子で、今日はスタッフの写真を撮り、
スタッフのコーナーを作ることに。
ナイロビオフィスのスタッフを一人ずつ、写真に収めていく。
みんな素敵な笑顔をくれると同時に、
コミュニケーションの促進になる。

明日には完全にウェブが終わる見通しが出来た。

【雑記】
「エイズに気をつけて」
アフリカに行く、と友人に言った際に言われた言葉。

何の気なしに言ったんだろうけれど、
エイズに気をつけるのは、何もアフリカに限った話じゃない。
日本でもHIVには感染する。
それはどこに居ても同じことだ。


オフィスで事務仕事を行う分には、
多分どの国に居てもそれなりに働ける、
というぼんやりとした感じを持つ。

しかし、オフィスに居るだけでは、現場の様子はわからない。
今回は、現場に出て、成果を出すことが目的であると改めて認識。

あさってからはブシアに行く。
ネット状況がどうなるかわからないので、
今後定期的に更新できるかどうかは不明ですが、
たまにはチェックしてみてください。

それでは。

2007年8月9日木曜日

3日目。

【業務報告】
web更新(3h)
買い物(3h)

【明日のToDo】
・電話カード、マラリア予防薬、虫除け、パジャマ(涙)の購入
・ウェブ終了(2h)
・大使館の人へのコンタクト
・研修報告のDL(0.5h)
・各所へメール(0.5h)

【雑記】
あいもかわらず、ウェブ更新。
結構良い感じに出来てきたが、ここにきてアデオケニアオリジナルのウェブが存在することが発覚。
明日は、ケニアオリジナルと僕が作ったウェブサイトを統合して、ウェブ更新は終了。
テンプレートを使ったものの、案外見栄えは良いと思う。
アデオのボスであるDr.ウェソンガにもほめられたし。

ウェブ更新の傍ら、以前の研修生の日記を読む。
ウェブ更新による情報収集も手伝って、ケニアで自分がどのようにして動いていけば良いのか、何をすることが望ましいのかが大体分ってきた気がする。

昨日まではYMCAに泊まっていたが、本日はウェソンガ邸にお邪魔する。
ウガリというケニアの主食を食べる。
前にケニアに来たときは、白いウガリを食べていたが、今日食べたのは黒いもの。
黒いほうが美味い。そして相変わらず、鳥、美味い。

明日はとりあえず最後のナイロビなので、JICAで働いているお姉さんと会おうと思いコンタクトを取るものの、調整付かず。
お姉さんと話すのは大好きなので、ちょっと残念。
全ては明日の仕事の進み具合次第。

ナイロビに来て、3日が経つが多分多くの人が思っているより、普通。
自由にネットが使えないくらいで、後は別に東京と変わりない。
短期間での感想を言えば、ナイロビは東京と同じくかなり都会なので、
都会特有のドライな空気が漂っているように感じる。
都会っ子の僕としては、いたっていつもどおりという感じである。

あさってからは、ブシアに行くことになるので、ナイロビとはかなり違ったケニアを見ることが出来るのだろう。

締まらないが今日はこのくらいで。
ウェブの更新を少しやって寝ます。
それでは。

2007年8月7日火曜日

予定、変わりすぎ。

【業務報告】
web更新(4h)
活動に関するMTG(1h)

【雑記】
基本的にオフィスで作業。
昼は一人で、鳥を食べに行く。鳥、美味い。

当初ケニア滞在は1週間だったが、本日のMTGで4日間に短縮。
(しかもその後5日間に延長。)
こちらに着てからというもの、結構流されっぱなしである。
自ら決めたことを成せていない感じ。
もっと積極的に行かねば。

土曜日にブシアへ移動。そこから本格的に研修開始予定。

2007年8月6日月曜日

ケニア初日

【雑記】
軽く挨拶をした後、書類を取り交わす。
ついた時間が遅かったため、みんな早く帰りたいらしく、
MTGは次の日に延期。概ね適当な感じ。

因みに今回の滞在における、僕の仕事は、以下の通り。
・ウェブ更新作業(1week)
・アウトリーチへの参加
・ディレクターのアウトリーチとミーティングに参加?
・アウトリーチの情報収集
・IECの整備
・アウトリーチおよび、peerに提出するミーティングレポートの準備。
・月間のニュースレターおよび季刊のニュースレターの準備
・日本からの4万6000円でプロジェクトの構築

 ナイロビヘッドオフィスにて、1週間ウェブの更新作業を行うことに。
 一応出来るとは言ったものの、込み入ったHTMLはかけないので、
 若干不安。まあ、HTML辞典は持ってきたので、
 必死こけば、多分数日で終わるはず。
 予定としては、3日で終わらせて、
 持ってきそびれたものを買い、
 小栗さんから貰ったコンタクトリストを駆使して、遊ぶ!

2007年8月5日日曜日

出国前夜

もはや前夜ではなく、当日だけれども。

去年の秋ぐらいから、「ケニアに行く」と言い続けて、1年弱。
シュウカツの長期化や、その後の息切れなどで、
結局ばたばたとした出国前夜だ。

関係者の方的には、「お前日記なんて書いてないで準備しろ」
という感じだと思うのだが、公開してしまった都合上、
何もないとちょっとダサいので、
出国前に一筆書いておこうと思った次第である。

僕は、このインターンは大学生活の集大成の1つだと思っていて、
このインターンを成功させることで、
自分の求めているもの(現時点ではどんなものかわからないが)
が、見えるような気がしている。

だから2ヶ月間、気張ってやってこようと思う。

最後にこの日記をご覧の皆さんにお願いになりますが、
短い期間で、至らない僕が一人で結果を残すのは大変なことかと思います。
故に、日記を見ていて、コメント、アドバイス等ありましたら、
辛辣に、されどやさしく(笑)フィードバックを下さると非常に助かります。

それでは、行って来ます。
ケニアでネットが繋がり次第、またお会いしましょう。