2007年9月22日土曜日

キスムへゴー

せっかく、ビクトリア湖の近くに住んでいるのだから、
一度は見たいと思っていた、レイク・ビクトリア。

本当は、入り江のキスムではなく、ポートビクトリアに行きたかったのだけれど、
バスの本数が少ないし、JICAの人がキスムに居るので、
面会がてら、キスムのレイク・ビクトリアの入り江を見に行くことに。

ブシアを朝7時に発って、同じく朝10時にキスムに到着。
降り立った場所が、すぐにマーケットにつながっているので、
マーケットをぷらぷらする。
湖畔の町だけあって、魚が多い。

そして、面会の時間には早い感じだったので、
地球の歩き方の地図を見ながら、放浪。

っていうか、キスムでかい!超都会!
ムズング(白人)超いっぱいいる!
インド人も中国人もいる!
すげーー!!!

キスムの都会っぷりにびっくりできる、ということは、
かなりブシアライフに慣れた、ということを意味していると思う。。
都会の空気に、少しびくびく。
母ちゃん、キスムは怖いところだでよ。

11時を回って、JICAの調整員の千葉さんに連絡をする。
30分後に再度連絡下さる、とのことだったが、40分たっても、
連絡が来る気配が無い。
千葉さん、アフリカンタイムになってますよ。

仕方ないので、ボダボダ(タクシーを使わないあたり、ブシア在住っぽい)を駆使して、
ドゥンガビーチへ。

ブシアではお金を使うところが無いので、
ここぞとばかりに、奮発してビクトリア湖周遊に出かける。
しかし、高い。。。

30分の交渉の結果、1000KSH値切ることに成功。

ツアーは、カバの居るポイントを回る、というもので、
正直、カバには感動しなかったが、
ビクトリア湖の上に居る、という事実にわくわくする。

ブシアに比べると、日差しが強く、正直倒れそうだったので、
帰りは、バイクで街まで戻る。

結局、千葉さんに会えたのは、3時半ころ。。

面会は有意義だったと思う。
報告はまた後ほど。
が、この面会を生かすには、ちゃんとナイロビのアデオに連絡をしなければ。

面会中に、ウェスタンケニアのJOCV数名が乱入してくる。
なんとその中に、三木さん(昨年の日本での活動仲間)が!
キスムの夜は、楽しくなりそうな予感を感じる。

その後、一泊1200KSH(ブシアの4倍!)もするホテルを予約。
ホテルは、蚊帳もしっかりしていて、清潔で、
シャワールームもものすごく綺麗。

夜は、JOCVの人達と中華を食べに行く。
その日は、ケニアに来ておそらく初めて、ウガリを食べなかった。

帰りは、トゥクトゥクという簡易タクシー見たいのに乗って、帰る。
途中、人が道路を渡ろうとしていたのだが、
その人が微妙にわたるのを躊躇している瞬間に、
僕の乗っていたトゥクトゥクが人を撥ねる!
「エエー!マージデー!?」という感じ。

テレビの映像とかで、人を撥ねる瞬間は見たことがあったが、
まさか、実際に見ることになるとは。。。
まあ、多分そんなにスピード出してなかったから大丈夫だと思うが。。

厄介ごとに巻き込まれると嫌なので、別のトゥクトゥクを拾って、
そそくさと逃げる。

キスムは、都会だった。
ブシアとの一番の違いは、お金を使うところがたくさんある、ということ。
その分、物価も高いし、QOLも高い。
例えば、ブシアでは冷たい水を頼んでもそんなに冷たくない。
が、キスムでは頭が痛くなるくらい冷たい水が出てきた。
さらに言えば、ブシアとは女の子のきれいさが全然違う。
まさに田舎娘と都会っ子という感じ。

貧困という概念は、比較から始まる、というが、
まさにそれである。
だから何?という感じだが、
とりあえず、それを実感した、という話まで。

2007年9月21日金曜日

最後のナンバレ(多分)

今日の午前中は、ようやく、ラジオの配布式が行われた。
いつも見慣れた、アクティブなPEたちに、ラジオを配布して、
それをネタに、人を集めて、ピアエデュケーションをさせよう、というもの。

まあ、ぶっちゃけた話、ラジオがピアエデュケーションに使われるとは到底思えないので、
正直、お金の無駄だと思う。
もしくは、ただのPEへのインセンティブ。
FHIは、正直お金の使い方が下手だなぁ、とたまに思う。

しかし、見慣れた面々がうれしそうにラジオを受け取っているのを見ると、
こっちもうれしくなるものである。

で、なんでこのラジオの配布式が遅れていたかというと、
他のNGOとの連携の問題。

ブシアのROADSプロジェクトは、FHIというNGOの主導の下、
ADEO、PATHの2つ(もしかしたらもっと)のNGOが実働を担う、という状況である。

FHIは、USAID経由でADEOにお金を渡す。
主に、全体の取り仕切り、決定権限を持っている。
ADEOはもろもろの実行に責任を持っている、いわば現場責任者、
PATHは、PEたちのトレーニングを主に担当している。

で、PATHの連中となぜかコミュニケーションがとれず、
ずーっと延期されていたわけである。

さらに言えば、今月は2つのトレーニングが予定されていたが、
それも行われていない。
これも、PATHとの連携の問題。

NGO同士の協働というと、聞こえはいいが、
実情は延期延期延期延期・・・である。


配布式終了後、急いでナンバレへ。
今日のマタツは、2年前の暴力乗り合いタクシーよろしく、
15人乗りに、30人近く。
狂ってます。

今日は、ナンバレタウンシップという最も近いエリアへ。
結構な数のPEが集まっていた。
ディスカッションの内容は、あんまり変化が無いので、正直飽きてきている。
そこで、今日は、フレイレ的意識化の実践みたいのを行ってみた。

PEたちは、あれが問題これが問題、と次々と要望を挙げていくわけだが、
どれか、彼らにとって一番の問題なのか、
それを解決する方法は無いのか、
等など、質問してみた。

結果としては、あまり上手くいかず。。
というのも、僕もPEも英語に問題があるため。
後何回かミーティングに参加すれば、なんか分る気がするんだけどなぁ。。
エンパワー、言うは安し、行うは難し。

その後、アイザックに勧められて、ロッククライミング。
ナンバレは、丘陵地帯という感じで、比較的なだらかなアップダウンが続いている
(自転車走行は大変。)
で、その平原の中に、ぽこぽこと岩が出ている。
岩の質から、噴火の跡地という感じ。

天辺までは、サトウキビをかじりながら10分足らずで着いたのだが、
そこからの眺めは、最高。
なだらかな中に、ぽっこり出ている岩なので、ものすごーーーーーく遠くまで見える。
ふと思ったが、観光っぽいこと、初めてしたような。。。

まあ、当初の目標として、仕事をしにケニアに行くわけで、
観光は後回し、と設定したので、、と言い訳をしてみる。


ナンバレの街に帰り、昨日と同じようにアイザックと分かれる。
「明日は・・・」と言いかけて気づく。
今日で最後だ。

アイザックと過ごした時間はそんなに長くないけれど、
僕は、誠実なアイザックがとても好きだ。

「Tutaonana tena(また会おう)」
とても不確かで、不誠実で、無責任な言葉だが、
そう言わずにはいられなかったし、
絶対にまた会いたいと思う。
不確かで不誠実で無責任だけれど。

そのまま、ホテルに帰宅。
僕のスワヒリ語ティーチャーの、ホテルスタッフたちとも、
ブシアにいるのは後一週間だ、という話をして、
ともに感傷に浸る。

正確には、感傷というより、後一週間後には
ここを離れるという現実に現実感が無い。
信じられない、という感じ。

明日は、絶対に見たいと思っていたビクトリア湖の観光がてら、
JICAの調整員の千葉さんとお会いしてくる予定。
一人ロングトリップ。
楽しみ。

残り少ないブシア、ここに来てようやく楽しみ方、動き方に確からしさを感じる。
いつだって、時間は足りない。

2007年9月20日木曜日

彼我の境界

「ケニアにきたら、一日一ドル以下生活を実践するぜ!」
などといきまいていたのだが、
ブシアは予想外に街だったので、全然そんなこと実践できずにいたのだが、
今日、ブハイヨイーストに向かう途中の食堂で、
20KSHのニャマシチュー(ビーフシチュー)とウガリを発見する。

ブシアの中級ホテルでは、ニャマとウガリは120KSH。
通常の飯屋で食べれば、80KSH~60KSH。
40KSHくらいまで来ると、結構安いなぁという感じ。

「やった!一日一ドル以下生活?」と思って、注文。

しかし、この物体、今までの人生で食べた肉の中で最もまずい。。
なにせ、ウンコのにおいがするのである。
肛門の肉なんじゃないかと思うくらい。
40KSHくらいまでは、おいしく食べられる肉が出てきていたので、
正直油断していた。。

しかもウガリ、黒ウガリだったのだが、この黒ウガリ、曲者で、
入念に準備がされていると、白ウガリよりも味わいがあり、おいしいのだが、
安いところで食べると、半端なくマヅイ代物なのである。
しかも、冷めていたし。

肉は2ピースだけだったので、なんとか我慢して食べるものの、
ウガリは完食できず。。


一日一ドル以下の生活を実践して、
「貧困ラインっつっても、生きられるぜ?」
などとのたまって、貧困を身近なものにしてしまおう、
とひそかに狙っていたのだが、正直ムリである。

正確に言えば、一日一ドル前後で生活することは可能といえば可能だと思うが、
僕にはムリである。

20KSHと40KSHには、見えないが確実にラインが存在している。

多分僕は20KSHの昼食のために、腹を壊すだろう。
非衛生的な環境の食事と、生水のため。

しかし、もし僕がずーっとこの食事と生水で生きてきていたら、
そして、僕がすこぶる健康だったら、
僕はこの環境下で生きていくことが出来ると思う。

しかし、一度病気になったら、この環境下で生きていけるのか?
一日食べるのでいっぱいいっぱいなお金を医療に費やせるのか?
さらにこの「医療」、医者へ払う金や薬のことではなく、
健康な状態でもきつい、暑く、長い道のりを、徒歩で、自転車で、
あるいはお金をボダボダやらマタツやらに払って、行くことが出来るのか?

僕の感想としては、答えは限りなくNOに近い。

貧困と言う状態、実際に経験したわけではない。
さらに、今日感じたものよりも、ひどい状態にいる人もいるだろう。

余談だが今日、蚊以外の虫に刺された模様。
右腕に鋭い痛みがある。
病院にいこうかと思ったが、
超混んでいるのでやめた。

日本だったら、
「大事をとって病院行っておくかー」
という思考になると思うが、
ブシアでは、
「混んでるし。。」
となる。
多分、大丈夫だと思うが、
もしこれが致死率の高い虫だったら?
貧困ならずとも、ブシアの医療には問題を感じる。

2007年9月19日水曜日

マタツ

今日は、最も遠いブハイヨノースへ。
疲れも昨日の比ではなく。
さすがのアイザックも、疲れ気味のため、
インポの危機を感じつつ、僕も結構な時間自転車をこぐ。

さて、このアイザック、もともとはアデオのPEである。
PEは、ボランティアスタッフみたいなもので、
Tシャツやら、何やらの配給がある以外、基本的に無給である。

現在は、アデオに雇われている。

彼は、誠実というかまじめと言うか、とても素敵である。
ブシアに来て思うのだが、スタッフ、PEともに、
僕が日本人、ということで何かとモノやら金やらをねだるヤツが
少なからず居る。

「ペンが無いから頂戴」とか。
が、アイザックは全くそういうことはしない。

自転車をこいで、のどが渇いているだろうと思って、
「水飲む?」とペットボトルを渡しても、
「いや、大丈夫」。

かといって、硬すぎるかと言えばそういうわけでもなく。
この人、個人的にマルセラとともに、心の安らぐ人の一人である。


さて、ブシアからナンバレは結構な距離があるので、
マタツ、というワゴンの簡易バスのようなものを利用している。

このマタツ、2年前にモンバサ(ケニアの観光地)で乗ったときには、
15人乗りなのに26人、はんぱない音量で耳が痛くなるほどの音楽、
開けっ放しのドア、などなど、

マタツ=暴力乗り合いタクシー

というイメージだったのだが、
今回のケニアでは、かなりおとなしいものになっている。
音楽はないし、人数も15人を超えることはあるものの、節度を守っている。

正直、僕は暴力乗り合いタクシーが結構好きだったので、残念。

2007年9月18日火曜日

自転車の日々その1

活動の位置をナンバレに移動。
アイザックとともに、ナンバレユースのミーティングに参加。

マルセラ曰く、「いかに移動が大変か思い知るといいわ!」。

ナンバレには、5つのエリアがある。
・ブハイヨノース
・ブハイヨイースト
・ブハイヨセントラル
・ワラチ
・タウンシップ

イメージ的には、東京都の
・葛飾区
・足立区
・江戸川区・・
みたいなものだろうか。

今日は、二番目に近いワラチのミーティングに参加。
僕は、ほとんど自転車の後ろに座っていたのだが、やたら疲れる。

12時、さんさんと照る太陽の下、出発。
半分は舗装された道路だったが、ものすごく急勾配。
半分はでこぼこの道。
これによって、ただ座っているだけで体力を奪われる。

(多分読んでる人はあんまいないと思うが)SFCの人は、
湘南台からSFCまでの道のりの距離を5倍にして、勾配を2倍にしたものに、
舗装されていないでこぼこ道を1時間付け足すと考えてもらえばよい。
自分で書いてて思うが、半端じゃないですよ?

ミーティングのたびに、アイザックはこの道のりを移動し、
ユースも、オフィスに来るたびにこの道のりを移動する、と考えると、
ぶっちゃけ仕事とかしている場合ではない。

さらに、ケニアの自転車は、サドルを調節することが出来ない上、
やたらとでかく、シートがプラスチックなのでものすごく硬い。

前に、アデオジャパンのメンバーが、
自転車のシートが凹んでいるのは、インポにならないためだ、と言っていたが、
ものの30分こいだだけで、インポの危機を感じる。

実際これを書いている今も、股の辺りが痛い。。


そんな感じで参加したミーティングだが、
ユースの期待は、果てしない。

俺達は貧乏だ、という合言葉の元、
やれ自転車もっとくれ、
いや自転車じゃなくて、バイクくれ、
むしろ仕事くれ・・・

僕は彼らとともに生活したことが無いから、
彼らがどれだけ貧乏で、どれだけ生活に困っているのかは知らない。

しかし、ここまで何かを要求されると、
「そもそも、自分達で解決、せめて改善する方法とか無いんですか?」
と思ってしまう。

と言うのも、ブシアをとりあえず移動してみて思うのだが、
色々組織化されていないものが多い気がする。
日本では、大体どんな産業でも、企業を中心に上手いこと組織化されていると思う。
うわ、めっちゃアバウト。多分ここら辺間違っているかもしれない。

とりあえずなんか、やろうと思えば、一つぐらい会社とか作れそうなのになぁ、と。
ふと、思ってしまうわけで。

2007年9月17日月曜日

・・・もう慣れたわ。

毎度のことながら、延期。
笑いさえこぼれてくる。

今日は、ROADSプロジェクトのプログラムマネージャーと、
PEたちのミーティングが予定されていたのだが、
キバキ大統領が、西ケニアに来ている、という理由で延期に。

西ケニアは、政治シーズンになると荒れるらしく、
ニュースでも、日本では絶対に放送されないであろう、
人が袋叩きにされて、流血しているシーンがしょっちゅう流れている。
因みに、ケニアの人々はこの袋叩きシーンでよく笑っているのである!
まあ、僕もスワヒリ語が分ったら笑っているかもしれないが。。。

午後は、JOCVの河原塚さんとお会いする。

河原塚さん作成の大豆料理のレシピを置かせていただけないかと
打診したところ、快く承諾してくださった。
お世話になりっぱなしである。

今度はお返しに、PCの修理を請け負うことに。
PC関連に(そこそこ)強いのは、かなり有利であることを再認識。

高校・浪人と勉強の代わりに、P2Pをやっていた行為は、
無駄じゃなかったんですね!

さて、延期に次ぐ延期で、ニュースレター(広報誌)に書くネタが無いため、
明日から週末まで、ナンバレに出張して、
ひたすら自転車をこいで、ミーティングに参加することに。

こういうことを書くと、不謹慎だがこれを機会に、痩せたい。

なぜ不謹慎か、という話は前にちょっと触れたけれど、
交通機関が無い故の、長時間自転車こぎは、
アデオナンバレでの活動の大きな障害の一つだからである。

まあでも、痩せたい。。
水の代わりにコーラの日々だし。。。

2007年9月16日日曜日

教会訪問その2

朝起きるものの、
昨日のセンチメンタリズムが抜けず、
てぃからが出ねー。

と思っていたが、一念発起して起床。
PEのリチャード牧師の教会に遊びに行く。

パキスタン人親子と行った教会と違って、
ばったんばったん人が倒れる、ということは無かったが、
悪魔付きなどを目にして、
この(失礼ながら)オーバーな状況は、
国民的なものなのかなぁ、などと感慨にふける。

ものすごく片言のスワヒリ語で自己紹介をし、一通りミサに加わる。

その後、リチャード牧師と、茶を飲みに街へ。
一通り、昨日の出来事を愚痴って、持ち直す。

センチメンタルになって、何もせずに終わることより、
短期間で何を残すかを考えるべきなわけで。


ところで、牧師がPEをやっている意味は、ブシアでは限りなくでかい。
ここの人たちは大抵キリスト教徒で、日曜には教会に行く。
今日の教会もそうだが、結構な数の人が集まっている。

そこの牧師といえば、その地域のコミュニティに対して、
少なからぬ影響力を有している、と言って良いだろう。
そこらへんは、リチャードさんも認識していて、
なおかつ、彼は、アクティブなPEの一人。
今後も彼には精力的に活動して行って欲しいものである。