2007年10月6日土曜日

"ODM!" "Machungwa!"

現在ケニアは、選挙戦真っ只中である。
候補者はたくさんいるものの、事実上の一騎打ち。

現大統領キバキ率いるPNUと、
キバキの元腹心(確か)のライラ率いるODMである。

PNUは、ナイロビに多いキクユ人を中心に、
ODMは西ケニアと、沿岸部、若者を中心に人気。

今日は、キバキとライラの政治イベントがあった。
キバキは、ナクルというリフトバレー近辺の中心都市で、
ライラは、ここ、ナイロビで行われた。

ナイロビタウン郊外の、ウフルパークは、ODMの支持者で一杯。
一杯も一杯。ものすごく一杯。

テレビでも中継されたわけだが、その様子は、
日本で言うところの、フジロックやらサマソニやらを、
もーっと強くした感じ。

政治のイベントというより、お祭り騒ぎである。
ものすごい熱気に包まれている。

で、アデオの人間は西部ケニアの人間が多く、
ODM支持者ばかり。

今日は、トムと一日中、飲み歩きをしていたのだが、
トムも、ODMグッズを購入して、道行く支持者と騒ぎ会う。

"ODM!"

"Machungwa!"

ODMは、Orange Democratic Movementの略。
んで、Machungwaはスワヒリ語でOranges。

みんなオレンジ色のTシャツや、帽子、ポスター、フラッグを持って騒いでいる。
その他の合言葉は、

"No more coruption"

前々から、政治の話になると、
「キバキとライラどっちが勝つと思う?」と人に聞いて回っていて、
以前は、「キバキじゃん?」という意見が多かったのだが、
ここまで周りにライラ派が多いと、案外ライラかつんじゃないのかなぁ、と思ってしまう。

ライラは、経済の自由化による外資流入、それに伴うケニアの経済発展を目指しているらしい。

この国の政治的関心(お祭り、というのもあるだろうが)の高さを見ると、
ちょっと明るい気持ちになってくる。
変えていこうとする意思、というかなんと言うか。

まあ、僕は、あまり詳しくないので、どちらかというと、ライラくらい。
どちらが勝つにせよ、政治を通して、ケニアがよりよい国になることを願っている。


余談だが、最近トムが、僕を良く「Atsu!」と間違えて呼ぶ。
トム曰く、Suzukiは、Atsuのようにスマートになったかららしい。
まー、ありがたいのかなぁ。
小栗さん的には良い迷惑だろう。


因みに、ドイツ人とシェアしていた部屋を引き払い、
自腹で、高いホテルに移動。
高いといっても、日本円で3000円くらい。
ケニアだと大金である。
部屋はめちゃくちゃ広く、シングルなのになぜかベッド二つ。
バスタブ付きで、久しぶりにゆっくりと入浴。

一時的に禁煙を解除して、一本吸ってみるものの、あんまおいしくない。
タバコってこんな不味かったんだと。
なんか普通に辞められそうな予感。


明日は、新しいJOCVの着任に伴う、「Karibu(welcome)パーティ」に、
なぜか参加させてもらうことに。
ありがとう、みっきー!
完全に部外者ですが。

2007年10月5日金曜日

仕事の終わり(多分)

今日は、本とIECマテリアルの発行に奔走。


リスペクトキャンペーンからいただいた寄付は、
ナンバレリソースセンターへの、本と、
IECマテリアルの設置に使わせていただきました。
リスペクトの皆様、後日ご報告に伺います。
(私信でした。)


その合間に、日本大使館を訪問。
厳重な警備をかいくぐり(?)、たどり着いた先は、別世界。
床のタイルを含め、白で統一された建物。
なんか、窓の先には日本庭園風の中庭が!

基本的に、ケニアで白を基調とした内装を行うのは危険である。
というのも、土が赤く、街中でも完全に舗装されているわけではないので、
靴に付いた赤い土が、白に目立ってしまうのである。

それをやってのける日本大使館、
すなわち、丁寧に掃除させるだけの給料を払える、ということである。

まあ、それは置いておいて、GGP(草の根無償援助)担当の塚田さんと、
なしむらえりこさん(ごめんなさい、字が分りません。。)とお会いする。

塚田さんは今週ずっと忙しいなか、わざわざ時間を合わせてくださったのだが、
僕が遅刻したせい(正確には、ADEOスタッフが)で、あまりお話できず。

その代わりに、なしむらさんと話し込む。
とてもフランクな上に、開発という現場での経験を感じさせるお姉さんで、
アドバイスやら、視点やら、色々なものをいただく。

彼女は、アデオのスタッフとも密に連絡を取ってくださっていて、
細かいスタッフに至るまで、結構ご存知だったりする。
さらに、アデオで短期間ボランティアしたい、
とまでおっしゃってくださった。

ナンバレのランニングにおいて、
彼女の力を借りる、というのはかなりアリなんじゃないかなぁ、と
個人的に思った。


さて、その後はトムと合流して、IECマテリアル作成へ。
一応、ドラフトを昨日提出するものの、ほとんど使われずー。

トムは、
「まあ、俺この現場で5年働いてるから。
 でも、お前のドラフトも参考になったぜ?」
などとフォローしてくれるものの。。

最近、当初のちゃらんぽらん適当おやじ、トムのイメージから、
やるときはやる男、トム、というイメージに変化しつつある。
素敵だ。
オフのトムは若干迷惑だけど(笑


多分今日で、仕事は終わり。
感慨深いかと思ったが、そうでもない。
多分コレは、帰国後の予定が詰まっていて、
感傷に浸るヒマが無いから。

まあでも、旅立ちのときは、また泣くんだろう。
涙もろいし。


土曜は、トムの家で、トムキッズに挨拶をして、
なぜか気に入られたトムの兄貴に、タスカーをおごってもらう予定。
トムの兄貴は、なぜか執拗に僕に、妹を娶るように迫る。
でも、ケニアでは結婚するときに、牛やら金やらを、
新婦の親族に払わないといけないので、ぶっちゃけ迷惑である。
さらに言えば、探すなら自分で探したい、探せる、ので
お気遣い無用なんですけど。。

日曜は、パッキングをして、お土産(といっても、酒とウガリ粉)を
しこたま買い込む。

ま、楽しんできます。

2007年10月4日木曜日

必死!

本当は、昨日の夜に夜を徹して作業をして、
朝には、トムにIECマテリアルのドラフトを出すツモリだったのだが。。

ユースホステルに泊まった結果、
ボランティアに来たドイツ人とルームシェアをする羽目になり、
机も無く、夜を徹して仕事など出来るわけも無く、
結局、なんのアウトプットも無いままオフィスへ。

しかも、午前中は履修申告をせねばならず、
それに時間をとられ、IECマテリアルは進まず。。

すると。。

トム「で、ドラフト、いつもってくんの?」

やべ、アフリカで初めて詰められた。。
しかもトムに。

第一印象はテキトーなおっさんだったのに、
仕事はかなりしっかりしている。

ぶっちゃけこういう張り合いのある環境で働きたかった。。
涙涙。

まあとりあえず、ドラフトは作り終えたが。。


こういうストレス下にいると、タバコを吸いたくなる。。
とはいえ、現在も禁煙継続中なので、頑張る。

でも、相部屋のドイツ人、スモーカーなんだよね。。
今日当たり一本貰ってしまいそうな気がする。。

2007年10月3日水曜日

トムとの仕事

IECマテリアルを作れ、と言われる。
(Information, Education and Communicationマテリアル。
 ビラとか、チラシとか、パンフとか。情報提供とかに使う。)
作らないで帰るのかなー、、などと思っていたがとんでもない。
仕事における責任区分は、明確なようで。

と言うことで、トムとディスカッションした結果、
ユース向けにセックスの初体験を遅らせるようなマテリアルを
作る、と言うことに。

コレって、要は性教育の教材を作れってことですよね・・?
しかも、後2日で。
しかも、英語で。

ハードタスクですよ・・?

基本方針としては、日本での活動を踏まえて、
安全でないセックスの危険性(ヘンな言葉だ)を
十分に認識させた上で、
ユース自らに選択してもらうような内容にしたいと考えている。

その上で、あまり押し付けがましくしたくないので、
所謂、性教育的情報は、必要最低限のものにしたい。。

あと、1週間強あれば、結構良いものが出来る気がするのだが。。

っていうか、常にトムとFace to Faceでコミュニケーションできる環境で働けていたら。。

まあ、たらればを並べてもしかたないので、ひたすらやるしかない。
なんか、ここに来て、また楽しくなって来た。

2007年10月2日火曜日

創業者という存在

また、ナイロビでの事務仕事に戻る。
事務仕事の方が気が楽。

ウェブの修正やらニュースレターやらを作成しつつ、
夜は、ウェソンガと彼の友人とのみに行く。
彼の友人もDrで、名前をDr.マルイという。
ケニア人である。

「コンニチハ、マルイデス」と挨拶をされる。
この挨拶だと、完全に日本人である。

さて、このDrマルイ、実はアデオの設立スタッフの一人らしい。
そういえば、彼の名前を前の研修生の日記で見たような。。
今は、彼はmerlinというUK系のNGOで働いているそうだ。
このNGO、ケニアで初めて会った日本人の、Drクモンと同じである。
もしかしたら同僚なのかも知れない。

日本に発つ前に、Drマルイと飯を食う約束
(多分達成されないが、是非ご一緒したい)をし、
ウェソンガとともに、ウェソンガ邸へ。

道中、ウェソンガとトーク。
先日、彼が、五年後にMember of Parliamentに立候補する、と言ってたので、
本気なのか、突っ込んで聞いてみると、本気だと。

んじゃ、ADEOはどーするんですかと聞くと、
「ウェソンガはADEOじゃねーよ」と。

確かにその通り。
しかし、気づかないうちに、創業者=会社的なイメージでいた上、
アデオといえばウェソンガ、というイメージがあったので、
ちょっと衝撃。

引継ぎもちゃんとやってるよ、と。
アデオジャパンもここら辺、ちゃんとやれると、
組織として盤石になってくるんだろうなぁと思う。

2007年10月1日月曜日

JICA訪問

ナイロビに戻ってくる。
ウェソンガとトムを連れて、JICAの調整員の千葉さんに会いに行く。
ここら辺は日本人、という強みが利くと実感。

さすがに編みこみの髪のまま訪問するわけには行かず、
髪は前日に解く。

目的としては、トムとウェソンガと千葉さんの顔合わせと、コネクション。

昨年、受け入れ要請の最終段階まで行っていたにもかかわらず、
結局振り出しに戻っており、
しかも、こないだ、受け入れ要請を締め切ったばかりで、
申請が通るには、一年以上かかるだろう、とのこと。

ああああ。。。

リソースセンター、不安が残ります。

2007年9月30日日曜日

ケニアの車窓から

ブシアからナイロビへ。
帰路の始まりである。

とはいえ、ケニア滞在の目的を果たし終えていないので、
気を緩めるわけには行かないのだが。

昨日のホテルスタッフとのフェアウェルパーティで気づいたのだが、
カメラが壊れかけている・・!
僕のじゃないのに。。

と言うことで、車窓からと言いつつ写真は撮れず。

しかも、道路の状況は概ね悪い。

ブシア→キスム→ナクル→ギルギル→ナイロビ
という感じで進むのだが、

道がまともなのは、ブシア→キスム間と、ギルギル→ナイロビ間のみ。
他はめちゃくちゃ道が悪く、時折横転の危機を感じる。
ゆれが激しいからかどうかは知らないが、
バスに乗っていると気絶するほどの眠気に襲われる。

ということで、頑張って景色を楽しもうとするものの、たまに気絶。

主に感じたことは、
・使われていない土地が多い
・組織化の香りがしない。
など。