2007年9月29日土曜日

青く、落ちてきそうなほど低い空の下で

ブシア最後の日である。
前日、クラブで象徴的な出来事があって、センチメンタル。
その上に、ものすごく眠い。

起きると、ホテルのオーナーが、
僕のためにホテルの金で、小さなフェアウェルパーティーを開いてくれる、と言ってくれた。

その後、予想通りマルセラがバスのブッキングに失敗したので、
自分でブッキングをしに行く傍ら、
ブシアのタウンを一通り歩いてみる。

外を歩き、2ヶ月見慣れた景色を見ているだけで、
涙があふれてきそうになる。

さらに、外を歩くと、必ずと言って良いほど知り合いに出会う。

いつも朝食を買うキオスクで、いつも去り際に、
「come again」と声をかけてくれるおっちゃんに、
「No」と答える。
行き着けのネットカフェの店員にさよなら。
FHIのムヨンガに、今度ブシアに来るときはJOCVでFHIで、と言う。
僕のペンを盗もうとした、Kehasoのアンソニーは、
収入が無いのに、僕に昼飯をおごってくれ、
肉屋のせがれのPEは、僕のCDを一緒に選んで、
僕をホテルまで送ったあと、今日の夜さよならを言いたい、と言ってくれた。


僕は、ここの人たちがすばらしい、なんていうつもりは全く無い。
自分勝手な連中は多いし、
モノは盗もうとするし、
仲良くなると次には金の無心。

正直うんざりすることも少なくないし、
分かれたくない、なんてことは全く無い。
もう二度と会いたくねーよ、というヤツも少ないがいる。

あと2週間を切ったあたりから、
さっさと帰りたい、という気持ちも無きにしも非ずだ。

それに、ここの連中は、誰も僕を放っておいてくれない。

時には僕からのお金を求めて、
時には何の見返りも求めずに、
常に、僕に声をかけてくれる。


別れの寂しさでも、人の温かさでもない。
ただ、理由も無く涙が流れてくる。
こんな涙は生きてて初めてだ。

僕は、この2ヶ月弱、
この赤道の下の、青く、落ちてきそうなほど低い空の下で、
どんな存在として生活し、
どんな存在として存在し、
どんな存在意義を残せたのだろうか?

僕は、またこの街に来たいと思っている。
また来るだろうか?
来られるだろうか?
来るとしたら何をしに来るのだろうか?

答えの出ない自問自答ばかりだけれど、
ひとまず、さようなら、ブシア。
僕は、この街が、人が、好きなようです。

2007年9月28日金曜日

モノに飢える人々 pt2/ インタビュー /禁断の果実・・

今日は、マンスリーミーティング。
ブシアでPEたちに会うのもこれが最後。

今日の僕のミッションとしては、つつがなく彼らにIECマテリアルを配って、
ちょっとしんみり挨拶して、お別れをすること。

・・と思っていたのだが!
しんみりもクソも無く、
怒涛のようにパンフレットやテキストや、ステッカーに群がるPEs!

「これ16個!」
「つか、これどこにサインすれば良いの?」
「・・・(勝手に取っていこうとする連中)」

並ぶとか、行儀良くとか、待つとか、
そういうカルチャーは無い。
自分の配給が割り当てられればそれで良いわけで、
僕のテンパり具合やら、ひっちゃかめっちゃか具合などお構いなしである。

やれやれ・・・


MTG後、今までなかなかつかまらなかったPEのハビーブを捕まえて、
インタビューを行う。
聞いた項目は、何でボランティアでPEやってるのか、
何がモチベーションなのか、
次に、どんなことをしたいか、など。

彼は、イスラームなわけだが、
そんな彼が、イスラームにはあまりいないであろうPEであり、
さらにアクティブなPEの一人なので、
彼にインタビューを試みたのだ。

普段はおちゃらけているハビーブだが、
インタビューはものすごくまじめで、
実りのあるものだった。

ビデオを撮ったのでいつか共有したいと思う。
(ウェブカメラだから音・画質悪いが。)



日本を去るときに、僕は髪を切らなかった。
お金を節約したい、時間が無いなど理由はあるものの、
隠された理由が一つ。

日本ではぜーーーったいにやらない、
プレート(編みこみ)をやってみよう、という。。

今までは、「似合わないし、まあ良いか。」で済ませていたのだが、
ウガンダで研修していた学生の日記を読んで、
プレートしました、という記事があり、
「剛(研修生の名前)がやってるなら、俺がやってもセーフだろ。。」
と思い、ついにプレートに手を出すことに。。。

で、やってしまった。
ブシアでは、日本人はタダでさえ目立つのに、
さらに、ダメーな意味で目立っている感じ。

僕を知っている人は、
「you look smart」などと言ってくれますが、
明らかに、お世辞としか思えずー。

今までは、ブシアに馴染むことがメインだったが、
残り2日になって、よそ者意識が芽生えたのか、
旅の恥は掻き捨て根性で、やってみました。
ヒジョーに後悔しています(笑

2007年9月27日木曜日

毎度のことながら。。

告知はいつも突然なわけで。
今日も、PEとの月例ミーティングがあったはずだったが、
明日に延期。
理由は、他のNGOやら行政の偉い人やらとのミーティングに、
ブルーノが参加しなければならないため。

これは、と思って、ブルーノに付いて行く。

道中、マルセラから電話。
「あんたどこ居るの?ナンバレ行くわよ?」
何でも、トムが来ているらしい。
こっちも、事前告知なし。
っていうか、昨日までトムとメールのやり取りしてたんですけど。
一言くらいメールの文面で知らせてくれてもいいだろうに。。

偉い人とのミーティングは、
ほとんど情報共有と、活動報告という感じで、
議題らしい議題は無く、
ぶっちゃけた話、ネットワーキングとキャッチアップが主眼と思われる。

以前ナンバレでお世話になった、CACCのおじさんに挨拶。

にしても、なんでミーティングをわざわざ高いホテルでやる必要があるのか。
このミーティング、お茶にお菓子に昼飯に、水(高級品)に、文房具一式まで付いてくる。
で、これだけの出資をして何かアウトプットがありそうかと言うと、
結構疑問。

昼食の時間に、残りの仕事を仕上げねばならなかったので、
オフィスへ引き上げる。


ちまたでは学校が始まったようで、
僕も履修やらなんやらしなければいけないわけだが、
僕はあと1週間強、ケニアでのべーっと暮らします。

因みに、タバコ辞められそう。
すごい。


夜は、トムと会計のアモスと、マルセラとブルーノで、
CACCという行政系のポジションのおじさんを接待。

酒の席で、トムに、
「you look mature! you look old! you are like Atsu!」と言われる
一番初めのは、ほめ言葉だとして、あとの二つはどうなんだろう。。
アツは、4年前の研修生なわけだが、
トムの中では、like Atsuは超ほめ言葉っぽい。。

トムと仕事の話を、少しする。
多分この人と一緒に働いていたら楽しいんだろうなあと。
小栗さんは楽しかったろうなぁと。


さて、接待ということなわけだが、
トムはブランデーを三本空け、酩酊状態、
CACCのおじさんは、実はアモスのいとこだということが判明、
僕もすきっ腹にだましだまし、ビールを飲むものの、
とりあえず腹が減って死にそう。
CACCのおじさん、マルセラ口説いてるし。。。

と言うことで、所謂日本的な「まぁまぁまぁまぁ」的接待はこれっぽっちも無く、
ひたすら飲んで、終了。

飲んでて思ったのだが、この人達はソーファニーである。

2007年9月26日水曜日

停電・・・

さて、オフィスワークをしようと思ったときに停電されると、
何も出来ないわけで。

さらに、タバコの禁断症状で、
マルセラに、「あんた、顔色悪いわよ」とまで言われる。

そこで、オフィスで寝る・・・
気づくと、4時。
まだ停電していたので、マルセラと帰る。

一日ってこんなに無駄に出来るのか、と
改めてびっくりした一日。

2007年9月25日火曜日

一人カスピ海レース

分る人にしか分らないネタ。
そして、分る人は多分この日記を見ていないだろうという。
(ググっても出てこない言葉です。)

さて、一人カスピ海レースに加えて、
摂食、禁煙を開始。
ラマダンだしね。

と言うことで、現在3つのabstainをしているのだが、
日中のいらいらは半端ではない。

以前、禁煙したとき授業中以外ずーっとタバコのことを考えている、
という始末だったのだが、今回も仕事の集中力が切れると、
タバコのこと以外考えられなくなる。

特に、夕方がつらい。
疲れてくる上に、空腹と禁煙のいらいらが重なるのだ。

ということで、昼間から、キスムのホテルでくすねた(ケニア流)、
爪楊枝をずーーーーっと噛んでいたのだが、結局挫折して、
一本吸う。

・・・・徐々に減らしていこう。。。

因みに、ニュースレターは、フリープレイラジオの部分は完成。
マルセラは、「マンスリーミーティングとかも付けなさいよ。」と言うが、
ミーティングをどうやって記事化すればいいのか・・?
PEの自主性に任せて、エンパワーメントしてます、みたいなことを書けば良いのか・・?

まあ、明日は一日ヒマなので、
ニュースレターの加筆修正でもしよう。

2007年9月24日月曜日

ブシア最後の週

ぶっちゃけた話、今月はなーーーんにも活動が無かった上、
参加できるはずの活動にも、ブルーノ君の怠慢っぷりにより、参加できなかったので、
ニュースレター(広報誌)もクソもねー!
と、個人的には思うのだが、
上司のトムが待っているので、ニュースレター作成開始。

記事は、とりあえずロケーションフリーのラジオの配布式と、
サッカートーナメント(丸写しの上、写真なし・・・)、
後は、ナイロビにて、ナンバレ向けのIECマテリアルを購入予定なので、
それについてでも、記事にしようかと。


少し早めだけれども、個人的にこの研修を振返ってみる。
この研修はADEO的には、「失敗」だと思う。

失敗だと思う要因として、
・当該組織、ADEOに対して利益をもたらしていない
・当初のジョブディスクリプションの半分も達成していない

まあ、下の要因はぶっちゃけて言えば、僕のせいではない。
FHIとかブルーノとかのせいである。
さらに言えば、IECマテリアルの開発に関しても、
実際のアウトリーチに参加できなかったので、
どんなマテリアルが不足しているのかが分らなかった。

リスニングしろ、という話もあるが、
PEsにリスニングしても、僕の範疇外の事柄(ラジオくれ、テレビくれ)しか
返ってこないから、リスニングはしなかった。

「失敗」だからかどうだか知らないけれど、一番偉い人であるウェソンガは
びっくりするぐらい僕の相手をしてくれない(笑)
まあ、忙しいのかもしれないけれど。


で、僕としてはこの研修、成功とは言えないまでも、
とても実りのあるものだったと感じている。

要因としては、
・かなりこちらの生活に馴染んだ
・日本に加え、「ケニア」という国で働いていける自信がついた。
・新スキル、「飛び込み渉外」を覚えた
・楽しい。あんま帰りたくなし。

こんなところ。
馴染みすぎたのか、最近日本と同じようにだらだらしていたのだが、
残り2週間切って、またよそ者意識が芽生えたのか、
日記もこまめに書き、その他の勉強(スワヒリ語なり論文読みなり)も、再開した。

正直、もっと長ければ、という気がする。
短期滞在ゆえに、わざと手を出さなかった分野もあったりする。
(他のNGOの訪問、一人夜遊びなど。)

この研修を成功足らしめるとするならば、
JICAとの連携を成功に持っていけたときだろうか。
とりあえず、トムかウェソンガに連絡して、
千葉さんとの面会の日程を決めなければ。

2007年9月23日日曜日

事故事故事故

環境の良いホテルで気持ちよく眠って、気持ちよく目覚める。
さらに、朝食も付いていたので、
レストランに行って、朝食をとる。

ブシアで泊まっているホテルとは比べ物にならない速さで、
朝食が出てきたことに感動しつつ、
さらに、紅茶とコーヒーを選べることに感動しつつ、完食。

ホテルを出ると、
「プーーーー!! ごしゃ。」という音が。
まーただよ。

バスと、ランドクルーザーが正面衝突。
大事には至らず、ランクルの運ちゃんとバスの運ちゃんが、
喧嘩を開始。
人々も駆け寄って、集まってくる。
不謹慎だが、もはやエンターテインメントの一つ、といった感じである。
中には、喧嘩を制する人たちも。
ここら辺で、制する人がいる当たり、日本とちょっと違うかな、と思う。

ホテルに泊まっていた白人観光客ご一行は不安げに、
この暴動の様子を見ていたが、
僕としては、慣れたもの。
実は、昨日のトゥクトゥク以外にも、行きのマタツ車内から事故現場を目撃したし。。

帰りは、マーケットに行ってお土産でも買おうかと思ったのだが、
購買意欲が起きず、断念。
前回の訪問のときは、1週間で10万くらい使っていた気がするのだが、
今回は、一ヶ月で10万も使っていない。
ケニアの相場を知ったのか、お土産を買う必要が無いくらい馴染んだのか。

明日はブシア最後の週の始まり。
心残りの無いようにしよう。